「ビスマーク侯の辭職」
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時事新報に掲載された「ビスマーク侯の辭職」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
ビスマーク侯の辭職
獨逸の宰相ビスマーク侯が辭表を捧呈したりとは一昨日の本紙上に掲載せる所なりしが其願意果して聞届けらるゝや否や我輩は讀者と共に首を延て翹望せしに昨日其筋へ達したる電報に侯の辭職はいよいよ聞届けられて陸軍大將カブリヴィ氏がその後を襲ぎたりと云ふ初め侯が老帝ウヰルヘルムを輔け雲龍風虎の姿を以て聯邦統一の偉業を經營したりし以来今日に至るまでの間三朝に歴仕して益々獨逸の國勢を張り隠然歐洲の覇權を握りて遠近を震懾せしめたるは誠に古今に卓絶したるものと云ふべし左れば世人は獨逸を見ずして先づビ侯を見るの〓となりビ侯の一身は以て獨逸の重きをなしたりしに俄然辭表を呈して忽ち聞届けらるゝこととなりたるは之を尋常各國の内閣更迭に比す可らず是れより漸く獨逸の國情に變態を來たすべきは勿論霹靂一聲まさに歐洲の大勢を震搖して活劇塲裏に入ることならん歟なれども諸外國との間柄には未だ容易に異變ある可らず差向き最も影響の切なるものあるべしと思はるゝは佛國にして千八百七十年城下の盟をなしたる當時の怨恨は生々死々遂に忘るゝ能はざる所にして殊に王黨と云ひ武將軍黨と云ひ坐薪嘗膽の思をなして常に恢復を圖るに熱することなれども今の共和政府は勉めて温和の手段を執り纔かに破裂に至らしめざるの折柄ビ侯辭職の報一たび達するに及んでは國人の感情を挑發すると同時に王黨、武將軍黨は益々勢を得て一擧政府を顛覆し再擧戰雲を漲らすに至るやも測り知る可らず假令へ俄に此事に至らずとするも共和政府の持續に困難なるは想ひ遺やるゝ次第にして世人の皆共に刮目せざるを得ざるの時機正に到來せりと知るべし
左るにても今回ビ侯をして辭職せしむるに至りたるは果して何事なるべきや或は侯は老年に傾きたる上に漸く身體の健康を失ひ劇務に堪へざる者の如しと傳るもあり或は新帝と折合ずして屡々老相の言を用ひず此程も帝は社會黨を厚遇するの意を示して國會議員にも同黨の數、著しく增加しビ侯の羽翼を傷けんとするに至りたる抔は葢し辭職の原因ならんと云ふもありて諸説區々なりと雖も兎に角に今回辭職の容易なりしは君臣和合の結果に非ずして何か事情の存するものある可しと憶測せざるを得ず抑も帝は即位の始めより露墺諸國に行幸して暗に政治上の運びをなしたる抔其運動は頗る活溌にして殆んど専決の色を顯し老相をして竊に痛心せしめたるもの一にして足らず我輩は之を見て帝が年少氣鋭未だ世事に長けざるを歎じ前途の政策必らず人の意表に出づるもの多からんかと餘處ながら竊に杞憂することなりしに爾後活溌の氣象は毫も怠ることなくして今や老相の辭職を忽ちにして廳納せられたるが如きは如何にしても君權の廣大なると帝の氣鋭なるとに由ることゝ認むるの外なし蓋し帝にして強ひて百事を専決せんとする時は有為の人は遂に奉仕すること能はざるに至り因循優柔の政治家のみ事を執りて隨て政略の退歩することあるべきと共に偶々失敗あれば一に之を新帝の所作に歸するも亦免れざる所なるべし新任の宰相カブリヴィ氏は如何なる人材なるやを知る可らずと雖も参謀長ウルダルシー伯こそ帝の股肱にして伯こそ次の宰相たるべしとは世人の豫期する所なりしに意外にもカブリヴィ氏の登庸せられたるは或は伯が表向き其衝に當るを避けたるものには非ざる歟兎も角も帝は是れより益々政機を親裁せらるゝことならんなれば假令へ宰相に其人を失ふことなしとするも元來獨逸の人民は不屈の精神に富みて今日までも老帝の政略にさへ抵抗を試みたること少なからざれば今帝の獨裁は漸く國會の紛擾を醸すに至ることなしと云ふ可らず帝の爲めに將來の計を案ずるに暫く無為の政策を取りて隠然人望を収むるこそ得策なるべしビ侯の辭職豈容易ならんや