「外資輸入」
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時事新報に掲載された「外資輸入」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
外資輸入
今日金融の窮迫、全國の鐵道を始めとして鑛山開墾諸製造の事業は到底敗滅せざるを得ず或は世の實力家は之を自然の成行に附して倒るゝ者を倒す可しとて悠然たる者なきに非ざれ共事の原因に溯りて此惨状を醸したる所以の事情を尋れば過日の紙上(本月十五十六日)にも記したる如く數年來政府の低利策に影響せられて今日あることなれば獨り人民の油斷不注意のみを咎む可きにあらず況んや彼の少數の實力家をして他の不幸不運に乗して奇利を利せしむるに於てをや假令へ人情を別にして論ずるも多數を倒して少數の僥倖を成すは經濟の得策に非ず尚況んや今回の禍は政府の筋の人為に由來したるものなれば之を救ふにも同じく人為の手段を用るの要あるに於てをや我輩は兎も角もして商工社會に大波瀾を起さずして其急を救はんことを冀望し様々の想像説を記して理財者の参考に供したりしが固より完全の妙案とてはある可らずと雖も諸説中最も有力にして最も確なるものは外資輸入の一策なる可しと信する其次第を述べんに前日も既に論じたる如く日本國民は俗に云ふ身代不相應なる事業を起して中途に當惑するものなれば資本を他に借用して其事業の取續きを謀り後に至りて収入の利益を分つの外ある可らず然らざれば是れまでの辛苦は既に費したる一部分の資本と共に皆無に歸す可し、分り切ッたる物の数なれば政府が此數理に注意して外資輸入の事を決するは至當の政策にして徳義上より論ずれば今の窮迫商工に對するの義務なりと云ふも不可なきが如し今の商工業は低利の假相に酩酊して漫に發起して頓に窮したるものなればなり扨こゝに外資を輸入したりとして假に其利子を年五分とし之を利用するの法を如何す可きやと云ふに一説に政府が是れまで發行したる整理公債證書の高は既に八千餘萬圓なる可し近年來世間の金利は漸く騰貴する有樣なれば五分利の公債に百圓の價なきは當然のことにして今日にても之を政府の度外に置き例へば官に對する保證等に用るに其價格を低く評し、日本銀行にて其抵當たるを拒むが如きあらば百圓の價は忽ち下落して五六十圓に至る可し斯る性質のものを人民に抱かしむるは不條理なるが故に輸入の外資を以て整理公債を償還すれば政府は唯内債を轉じて外債に變するまでにして利子に損する所なく而して其償還したる元金は民間に溢れて流通の資本たる可しと云ふ者あり此説誠に然り整理公債證書は我國に於て到底百圓の價を保つ可きものにあらざれば政府より百圓に賣出したるものを百圓に買戻して其金を民間の資本に利用せしむるは正當の道なれども斯の如くするときは政府の低利策も同時に廃止して世間の金利は頓に騰貴し彼の低利を標準にして起りたる國中の事業は金利の爲めに衰頽するの恐なきにあらず今日の救急法としては尚未だ足らざるが如し左れば第二説に外資を入れたらば先づ第十五國立銀行より借入れたる千五百萬圓を一時に拂戻して之に同銀行の所有金を加ふるか又は政府より特に資本金を出して之を補足し新に一大會社を起して其營業は銀行の正則に於て行ふ可らざる事を行ひ慥なる見込さへあれば鐵道にても鑛山にても又は運輸開墾等の事業にても資本を貸渡し其期限を長くし其利子を低くし數年を期して事業を完全せしむ可し斯の如くして政府が整理公債證書を處するの法は尚舊時の筆法を用るの間に徐々に其自然の價格に下らしむるの方略を施すときは經濟社會の大波瀾を免かれ數年の中には諸會社の事業も完全して自立の勢を成すに至る可しと云ふ者あり此第二説は我輩の特に賛成する所にして近來英國の商人が發起して既に我横濱にも出張したる彼のツラストエンドローン社中の如き其營業の目的は専ら銀行の正則に許さゞる所の金融を助るに在りと云ふ商工の事は單に銀行のみに依頼す可らざること以て知る可し唯右の第二説中に政府が公債證書の價格を維持して低利の舊筆法を一時に改めず云々は遺憾なるに似たれども事柄の是非得失に論なく數年の間これに慣れたるものを一時に改るときは必ず害なきを得ず低利の事たる全く人為に出でたる變態なれども決して之に急變の策を施す其害は酒毒の患者に向て俄に禁酒を命ずるの不可なるが如くなればなり
人或は政府が外資輸入策を行ふを見て悦ばざる者もあらんなれども今日の日本の経済を此まゝに放棄するときは看す看す國の損亡たる可きは疑を容れず本來外債を忌むは金の利足を外國人に拂ふて國の損亡たる可しとの意味ならん然るに今日我國の有樣は一時低利の夢を見て自力に不相應なる事業を企て進退谷りて將さに大損亡に陥らんとするの時節にして恰も大病人に接するの姿なれば既往の不養生を咎るも無益なり將來の事を顧慮するの遑もある可らず目下の急を救ふの手段とあれば之に從ふ可きのみ何ぞ外債を恐るゝに足らんや然かのみならず現に今日に於ても外國人が中山道鐵道公債又は整理公債證書を買へば日本政府は外國人に利子を拂ふの義務あるに非ずや又事實に於ても間接直接に多少は拂ひつゝあることならん若しも今後政府の筋にて公債の價格を度外に置き世間に行はるゝ金利の割合に從て上下せしめ中山道公債が七八十圓に下り(先年七分利付金禄公債は六十圓臺に下りたることあり)整理公債が五六十圓に下りたらば之を所有して年八分より一割の利子に當るが故に外國の金融者は爭ふて之を買取り遂には悉皆彼等の手に歸するやも知る可らず是れまで政府より賣出したる整理公債を凡そ八千餘萬圓とし中山道公債を二千萬圓とすれば大數一億圓の高は外國人の所有を許し其公債證書が彼等の所有に歸すれば日本政府は之に對して毎年約束の利子を拂はざるを得ず即ち一億圓までは既に外債の道を開きたるものにして官邊にも民間にも一言の異論なかりしに非ずや然るに今公債證書の仲立あれば外債は苦しからずして外債と名くる外債は不都合なりと云ふか我輩は其理由の所在を知るに苦しむ者なり
又こゝに注意す可きは政府にて果して救急策の必要を會心したらば之を實施するに一日片時も猶豫す可らざるの一事なり商賣世界の事は眞に活物の活動にして時機を誤るときは如何なる名案妙策も其用を爲さず此れを思ひ其れを案じ、右に語り左に談じ、今日の談、熟せずして明日に送り、明日は不時の要用に妨げられて又その次の日を期するなど夫れ是れして半箇月一箇月を空ふする其間には世間商況の活動これを留めて駐む可らず一時に破裂して大混亂に陥る可し左れば大藏大臣は自から其責任の重きを認め百事を抛て此一方に精神を注くこそ本意なれ國務大臣なる者は平生貴顕と稱せられて特に榮譽の盛なる代りに斯る塲合には其心配も亦特に大ならざるを得ず商賣社會の安寧を維持するも大臣の方寸に在り之を破壊せしむるも大臣の方寸に在り東洋國固有の風とは申しながら大藏大臣の責も亦遅しと云ふ可し