「軍事奨勵の機轉」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「軍事奨勵の機轉」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

軍事奨勵の機轉

國家陸海軍を振勵するの道を講ずること久し今度兩軍の大演習に天皇陛下親から三軍を統べさせられ織豊二氏以下古今群雄の戰地を相して攻守布陣の塲所と爲したるが如き蓋し當局者深意の存する所にして此一擧大に我が軍氣を振起す可きは我輩の信じて疑はざる所なりと雖ども軍事を社會の一要項と見做して根本より之を奨勵するには軍事當局の人々が種々振作の道を講じて之を實地に施行すると同時に政治文學宗教等社會各部分の人々より尋常婦女子に至るまでも軍人に對し軍事に關し常に之を度外に置かずして日常の話柄と爲し其事を重んじて其人を敬し滔々たる天下の評判を以て尚武の人氣を引立つること最も肝要なる可し窃に海外の事例を按ずるに獨逸にては時に陸軍を奨勵し英國にては最も海軍を重んずるの國風にして當局の人が其奨勵法を講じて怠らざるは勿論、帝室の恩露も特に其邊に濃にして勲章の燦爛たる服装の壮麗なる世上一般の耳目に映じて其光榮の餘りあるを示すに足のみならず世上一般の人々も眞實軍務の重きを知りて情に於ても形に於ても共に優遇の意を表し例へば宴會の席上にて國王の萬歳を祝するに續て必ず陸海軍の萬歳を唱へ旅客運送の汽船中には軍人と見て運賃を割引するものあり又坊間の興行物も時に軍人のみに限りて其見物料を減ずるものあり其他軍人を敬禮優待するの趣は演劇に入り小説に入り獨逸の芝居の筋書には武人を主人公と爲すもの多く容貌魁梧の軍人が決闘塲に勝を得て額上のカスリ疵を物ともせず手に握りたるハンケチーフに鮮血模糊たるなどは實地上にも舞臺上にも共に喝采を得る所にして〓袴文弱の艶郎は毎度嘲弄の種と爲るの常なれば世上の人氣は自然に之に連れて婦人女子の好む所も國家の干城、赳々たる武夫に傾き凡俗一般に軍人の榮譽を珍重して止まざるものゝ如し又英國の小説には航海遠征の材料多く其演劇の趣向を見るに近年同國の芝居社會に非常に喝采を博したるアーメダ(イリザベス時代に英國の海兵大に西班牙軍を破りたる事實を根據として仕組みたるものなり)並にユニオン     ジヤツク等を始めとして重きを水夫海員に置き世間評判の高きと共に海員の職務を尚ぶが故に父母之を悦び兄弟姉妹之を好み親戚朋友亦之を奨勵して苟も男子たる者は進んで海上の功に勇まざるを得ざるの勢を成さしむる其趣は往時我國封建の世に名譽權力武士に集り世上一般の人々は何れも武士を羨んで花は櫻木、人は武士、子を産めば須らく武士の群に入るべしとて時の人氣を養成したるものに異ならず即ち英獨二國に於て一は海軍、一は陸軍、その國家の須要に應じて各々精強を専はらにするは國民の天賦、當局者の苦心、之をして然らしむるものならんと雖ども世上一般の人氣に於て武事を奨勵するの力も亦與りて大なるを見る可きなり然るに我が日本國は古來以武建國と稱して士流は勿論、世上一般の人々も武を重んずること甚だしく今を去ること程遠からぬ徳川封建の時代には之を以て毀譽榮辱人事の標準と爲したる程の次第にして當時士流の庭訓に寧ろ武愚と爲るとも文弱と爲る勿れと云ひ不顧死入儒林傳、輕甲一〓留在家と云ひ其家門の氣風に於て常に尚武の事を忘れず、ますら健男の本色は延て今日に持ち張りて全く地に墜ちざるが故に世上有識の人々が時に及んで之を振起せんとすることもあれば決して其望なきに非ず特に今回の大演習の如き世上一般の人をして軍事に注目せしむるの好時期にして天皇陛下の親臨を以て此擧に重きを加ふるは固より以て申すに及ばず官民重要の人も往き、近縣沿道の人も往き、新聞記者は軍状を記し將校抜群の手柄を記して盛事を世上に報道し畫工は軍陣の布置を寫して壮觀を世人の目に示し或は軍談師も見物に出掛けて元龜天正の合戰を明治の新案に飜へして凡俗の耳を悦ばしむる等兎角一般の人氣を引き立て此人氣に訴へて傍より軍事を奨勵する其功用は英獨諸國の實状に照らして自から明白なるが故に人事微妙の部分に着眼する者は今回の如き塲合に臨んで特に此邊の機轉を失はざらんこと我輩の切に希望する所なり