「頌徳に訴窮」
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時事新報に掲載された「頌徳に訴窮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
頌徳に訴窮
社會凡百の事項中、政治の獨り有力にして商賣其他諸社會を支配する日本の如き國柄にては政府一局部に長たる人の責任實に重大なりと云ふ可し我輩は去る十五日金融論の端緒に述べたるが如く明治二十年五月五日東京横濱の銀行者は當時銀貨紙幣價を同うして財政の整頓を告げ商況の繁榮期して待つ可きの今日を致したるは大藏大臣の功徳なりとて大臣を招待して頌徳の宴を開きたることあり銀紙の同價を致したるは時勢の然らしむる所もありて必ずしも大藏大臣の力のみに歸す可らずと雖ども平時重大なる責任を負ふ大臣の事なれば箇樣の塲合に獨り其功を収むることを得る其代りには彼の銀行者諸氏が期して待ちたる商況繁榮の望も齟齬して金融切迫、株券下落の有樣を呈したる今日の如き塲合に當りても亦その責に任せざるを得ず抑も目下金融切迫の原因並に救治策に就ては世間種々の説あるが如くなれども兼て銀行者仲間の申分なりとて我輩の耳にする所を聞けば從來日本銀行にては彼の融通割引の事を許して或る部分の金融を通じ又貸附法も嚴ならずして期限來りて其證書を書き換ふれば抵當据ゑ置きにても苦しからざりし例もあり凡そ此邊の好都合ありしが故に世間一般中に就きて銀行者は其金の廻り好きを見込み之が爲め會社も起り又その會社株をも負ひ込みたる次第にして其事柄たる固より銀行業の正則には非ざる可く云はば金融の逆なるものならんと雖も逆に流れたる水にても俄に之を遮りて順に復せんとすることもあれば爰に劇變を生ずるは數の見易き者にして日本銀行復順の方法不幸にして漸に因らさるが故に今日の金融切迫を見るに至りたるなり云々など唱ふる者あるが如し此等は單に其一端なれども東京横濱の銀行者は日々其局面に當りて實際の情状、救治の方法、必ず成見あることなるべく金融切迫の原因は兎も角も其救治の方法に就ては重もに日本銀行邊の手加減に因るものあらんなど云へる見込もあらば銀行者は同力協議して曩きに大藏大臣の徳を頌したると同じく今度は金融上に就き其窮苦を訴へて可ならん何となれば日本銀行は云はゞ大藏省の機關にして大臣の意見は自から行内に行はれ行の總裁が大臣と意見を異にすることもあれば大臣は得て之を換ふ可きこと既に前例もあることなれば銀行者の陳情訴窮も此際自から其効なきに非ざる可し盛時徳を頌したる者は窮時その窮を訴ふるに於て何かあらん言少しく代言流に似たれども大臣とても人の奉りたる頌徳表に當るに權利あれば其訴窮を聽くの義務もある可し我輩は京濱銀行者の今日に至るまで策の此に出でざるを見て前後對照、聊か不審なき能はざる者なり