「大演習の概評」
このページについて
時事新報に掲載された「大演習の概評」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大演習の概評
名古屋の客舎に於て
石 河 幹 明 稿
今回の大演習は大作戰の計畫を實地に試みたるものにして其結果は我國軍事上の未來に少なからざる經驗を與えたる事ならん我輩は幸に陪覧の榮を得て前後數日開演習地に奔走し其實〓を目撃しられども赤面ながら平生軍事の知識に乏しきと又一つには戰地〓〓の際、詳細の實〓を探究する暇なきを以て〓日來本紙上に登載したる記事の如きも時としては多少事實を誤り又時としては報〓單略に〓ぎて讀者に十分の滿足を與えること〓はざりしは甚だ〓憾に堪えざる所なり然りと雖も此事たる各新聞社ともに免るゝ能わざる憂にして獨り我社のみにもあらざれば總て此邊の事〓は暫く讀者の〓恕を乞う事として扨其結果に就き聊か概評を試みんとするに鄙見を以てすれば今回の演習は先ず以て非常の大出來なりと云わざるを得ず抑も我大作戰の計畫は夙に參謀本部の料理する所となりて其計畫は〓に十熟したるものなる可しと雖も兎に角に今回の如く一時に三萬以上の大兵を動かしたるは前古未曾有の事にして經驗中の經驗とも云う可きものなれば其結果の如何は世人の頗る氣〓いたる處なるに實際には何等の不都合もなく果して計畫〓りに行われたるは先ず我輩の意想外に出でたる所なり戰略に至りては東西兩軍の施爲〓動其宜しきを失わず能く軍紀を守りて其任務を盡したるは今更云う〓もなき處なれども暫く其目撃したる處により一家の私言を以て之を評せんに去月三十一日半田附〓に於ける西軍〓加隊と東軍枝隊との攻防は雙方ともに別に可否する所ある可からずと雖も西軍の戰闘艦隊が其搭載したる陸兵を揚陸するに時機の延滯を致し爲めに陸戰の計畫上に變化を及ぼさしめたるが如きは我輩の〓憾とする所なり抑も今度の演習に就て海軍部の目的とする所は専ら陸兵揚陸の一事に在りと云うも可なる程の次第なれば其平常の技倆を顕わす可き機會は實に去る三十日戰闘艦隊が伊勢海の守を破り知多灣に〓入したる其瞬間に在りし事ならんに事の實際に機宜を失したる觀あるは果して如何なる原因に出でたるか此一事は今後當局者の須らく研究を要する主〓なる可し四月一日東海〓今村附〓に於ける東西兩軍の陸戰は雙方ともに好地形を占め且つ歩砲兩兵の展開も亦その宜きを得たるが如し但し此戰に於ては西軍は専ら其主力を左翼に盡し東軍も亦その主力を右翼に集め以て之に當らんとする覺悟ありたるが如くなれども其用意未だ整わずして西軍の爲めに一着を先んぜられたるは東軍の爲めに不利なるのみならず且つ又當時街〓に向いたる東軍の爲めに不利なるのみならず且つ又當時新街〓に向いたる東軍の枝隊が本〓の砲聲を聞きながら之に赴援せざりしも亦東軍の一不利に數えざるを得ず而して此戰に西軍より〓却を始めたるは演習の〓〓に依り統監よりの命令にして當日の戰〓には關係なきものなりと云へり本月二日平針村の大戰は兩軍ともに全力を盡したる最後の戰にして最も其技倆を見る可きものなりとす蓋し此日の戰には西軍は一旅團の兵を以て平針街〓の要所なる八事山を守り其本軍は熱田附〓の地に屯し笠寺山邊に二聯隊を備え東軍は一師團の兵を擧て平針街〓に向い更に一旅團の枝隊を東海〓に向わしめたるなり左れば若しも東軍が最初に全力を以て八事山を攻撃するに於ては或は其目的を〓せしならん如何となれば八事山の西軍は僅に一旅團にして大砲は山砲十一門に〓ぎざるのみならず左翼の如きは其備最も薄〓なりしを以てなり然るに東軍の攻撃未だ盛ならざる中に西軍は早く〓に東軍は主力を盡して平針街〓に向いたるを探知し急に二聯隊の豫備隊を赴援せしめ且つ其山砲に換えるに野戰砲を以てしたるが故に其守〓に堅くして東軍の攻撃は功を奏せずと審判せられたるものならん要するに雙方ともに其施爲目的に於ては敢て優劣なしと雖も強て相〓の〓を求むれば西軍の〓動は常に機を制するに鋭く東軍は十分の〓心ありと雖も之を斷行するに果敢ならざりしものゝ如し然りと雖も其大禮に就ては兩軍ともに能く其施爲を誤らずして軍事の〓歩の見る可きもの少なしとせず例えば砲兵縱列の如き學理上にては今度の演習地の如き丘陵山岳の多き地には使用す可からざるものと定まり西洋諸國の兵法家などは固く其説を信ずるにも拘らず今回の實際に於ては砲門の展開〓轉その宜きを得て毫も差支を見ざりしのみならず二日の戰の如きは兩軍八十餘門の大砲を丘陵山間狭〓の地に排列して一門も閑却せしめざりし如きは實に手際のものにして陪覧の外國人なども驚嘆措かざりしと云う〓うに今回の演習に就き得たる所の結果は是等の經驗に如何なる結果を得たるや我輩の最も聞かんと欲する所なれども客舍〓々事實を取調ぶる暇なければ他日歸京の上詳細の報告を得て更に評論する所ある可し