「外債募集の風説は如何/美術の定義は如何」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「外債募集の風説は如何/美術の定義は如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

近來世上に誰れ云ふとなく我が政府にては將に大に外債を募らんとするの意あり云云と取沙汰するものあり其募集の次第は過般來世上の問題たりし金融切迫を救濟せんとするは勿論、且つ近年我國にては商業も進み又工業も發起して全體に通貨を要するの區域を廣めたるに然るに國中に融通する者は以前に異ならざるが故に相當の金を外國に借りて金融社會に通貨額を増し今の必須に應ぜんとするに在りなど云へり信僞は固より知る可らざれども我輩は漫に外債を恐るるものに非ず金融切迫救濟法に就き又諸興業奬勵法に就き果して金の入用を感じて海外に金を借るの必要あれば之を借るに臆病なるを好まざれども或人の説に云く金を借用するには其時機あり能く能く之を見計らはざる可らず今英國倫敦よりの最近報に據るに昨今同府は例年になく金融引き締りて英蘭銀行の割引歩合は年六朱、市塲の歩合も亦四朱半以上(英國金融社會にては中央銀行の割引歩合を市塲の歩合に比較すれば一朱乃至一朱半を超ゆるの常なれども日本にては此割合を逆にして日本銀行の利子歩合は市塲の歩合よりも低きものの如し是れ我が政府が人爲を以て低利を裝はんとするの結果なるべく此事の利害に就ては毎度時事新報に記載して讀者の注意を促したり)にして斯かる折柄、倫敦に於て外債を募らんとすることもあらば相談頗る易からず利子の割合も亦高くして金策の好時節に非ざるが如し現に千八百七十三年の發行に係る我が七朱利附外債證書は百磅一株として昨今倫敦市塲の相塲は百零七磅内外なれば其割合凡そ年利六朱ばかりに當り假りに此六朱を土臺にして募集を爲すも其請負銀行者に手數料を拂ひ募集したる金を爲替にするか或は其他の方法を以て之を日本に輸送するに又夫れ夫れの手數料を要して結局日本着までには七朱以上或は八朱近くの高利金となるべく况んや其國債を六朱利附として之を市塲に持ち出して百磅の額面が百磅に通用す可きや否は甚だ覺束なきに於てをや割合の恰好なるものと云ふ可らず左れば外債を募集するは好しと雖ども今日は之を募集するの時に非ず云云と以上は或人の一説にして左まで珍らしき言に非ず其筋にてもいよいよ外債と决したる上は必ず樣樣の事情を探索して時機を視ることならんと雖も萬一の參考にもと思ひ爰に聞きたるままを記すのみ

美術の定義は如何

美術と云へる文字は近來一般に通用するに至りたれども此文字は日本人中に於て一種の定義を持つものなるや或は英語のフワイン アーツ、佛語のボージユアートと云へる字義を其儘飜譯したるものなるや假りに飜譯字なりとして西洋にて所謂美術とは何を指して云ふや字書を按ずれば美術とは繪畫、彫刻、音樂、詞賦、建築術等を含包するものなりと云へど實際に於ては其意義尚ほ一層狹きものの如く繪畫の中にも彫刻の中にも美術の部類に入る可らざるものなきに非ず昨年巴里の博覽會に美術館と稱する一棟ありしが其中に陳列したる者は油畫、彫刻(完全なる發達を保ちたる男女の肖像を大理石に刻み若くはプラスターにて製したる者多し)並に建築の圖案粧飾等に限りて彼の有名なるセイブルの陶器類の如き其他金銀細工の如きは美術館にも附かず機械館にも附かず ドーム セントラル(中央圓塔)と稱する會館中央の位地に飾り現に日本より出張したる博覽會事務官が七寶若くは漆器中最も上出來の者を撰んで之を美術館に陳列することを請ひたるに此等は美術品として美術館中に飾る可きものに非ずとて一切之を受附ざりしと云ふを以て見れば佛人の所謂美術とする者は我が日本人の考に反して其意義甚だ狹きものの如し處で我國人の美術とはボージユアートの意義に同じく之を飜譯したるものなりとすれば今度開設したる我が博覽會の美術館の如きは其陳列品を吟味するに當りて西洋流の採擇法を用ふ可き筈なれども館中を一覽すれば油畫、日本畫、寫眞、織物、金石象牙細工は勿論、書も亦其中に加へて十何歳の子童がものしたる者さへ掲げ置けり左すれば爰に美術館と云ふ其美術は全く飜譯語に非ずして日本一種新工風の文字なるや既に美術館と云へば美術とは如何なる者ぞと云へる定義なかる可らず我が博覽會の美術館は如何なる定義を以て其列品を撰みたるや今日の如き機會に當りて其定義を講究し置かざれば我國にて美術品なりと思ひたる者が西洋に於ては美術中に入らず心ある西洋人は我が博覽會の美術館に入りて窃に不審を抱くこともある可し意ふに其向きの人人は必ず成見あることならん我輩の聞かんと欲する所なり