「商業家の眼界」
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時事新報に掲載された「商業家の眼界」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商業家の眼界
金は利子の高き處に向て動き物品は善き價に從て移り商業上の運動は空氣厚薄の變に生ずる風の流通に類するものあるが如し昔時は商業家の眼界も狹く金融物價の風勢は單に一地方に因りて定まり測候の法も至て不行屆なりしかども人事進歩して交通次第に開くるに隨ひ各地の天氣を參照して更に其豫報を得ると一般、商業家も眼界を廣くして商政現在の變を知り又その變の來る所を察し因て以て未來の風向を豫測すること最も肝要なるに至れり試に近日海外商政上に現はれたる事實を見るに事、萬里の外に在りて極東の我が日本國には其影響を及ほさざる可しと思ひの外、商家遠大の眼を以て見れば遲速緩急の差はあれども直接間接異常の關係あるものの如し例へば米國大藏大臣ウインドム氏が銀券發行方案を出して近近實行の運びに至る可しとの取沙汰あるや世界の銀相塲は昨今大影響を受けたるものの如く現に我國に於ける外國爲替相塲も本月十九日倫敦參着拂三シルリング三ペンス八分の五と云へる高直を呈し前前に比して殆んど三ペンスの騰貴を致したる程の次第にして今後イヨイヨ此方案の實行を見る可きや又その實行後の影響如何は外國取引に從事する商人の最も關心す可き所ならん又今回英國に於て茶一封度に付き二ペンス宛の■(にすい+「咸」)税を爲す可しとの方案あり出納尚書ゴツシヱン氏が之れを下院に披露したるが如き亦是れ我が當業者の注意す可き所にして從來英國の人民は其價の廉なるが爲めにや印度茶を飮用するもの甚だ多く隨て其輸入額も莫大なれども茶税低■(にすい+「咸」)などの機會に乘じて日本茶の販路を同國に廣むるの望みはなきや其邊の穿鑿も亦之を忽かせにす可らず特に先般獨逸にて鐵血宰相の辭職あり之れに續てカプリ ヴヰ將軍の臺位に上りたるに就ては今後我が商人が一層同國の擧動に注目せざる可らずと申すは他に非ず歐洲外交政略上獨、墺、伊三國の同盟はビスマルク侯の外交略上一方には佛國の喉を扼し一方には露國の肘を掣せんとするの苦心に出でたる者にして今の伊太利大宰相クリスピ氏も亦一癖ある人物なれば往時伊太利建國の際ナポレオン三世の救助を假りて辛うじて墺國の侵凌を免かれ國命を正に絶たんとするに繋ぎたる其大恩を恩とせずして獨逸と相結托せしを以て佛國人の激怒一方ならず前年佛國政府にて伊太利生絲の關税を増課したるは其怒氣の商政上に顯はれたる者にして歐洲外交風の吹き廻はしに因り爾來我が生絲業に從事する者は偶然にも餘福を占むることを得たり殊に昨年の巴里大博覽會には伊太利政府の手に因りて出品したる生絲なきが故に一個人若くは一會社にて勝手に陳列したる者あるも同博覽會の規則に於て人民勝手の出品には其賞牌を與ふることを許さず之が爲めに我が生絲は各國出品中の第一位を占め中にも富岡製絲塲の出品の如き金牌よりも一層優等なる賞牌を得たりと云ふ國の爲め誠に結構なりと雖ども今や三國同盟の首謀たる彼のビスマルク侯は退職して獨逸の樞軸を握るものは即ち課プリヴヰ將軍なり蓋し外交上に於てはビスマルクの勢力、隱然猶ほ存することならんと雖ども人異なりて其政略も隨て變じ今後一日墺、伊二國の外交も亦漸く變動せんとする其途端に或は伊、佛舊交を温め彼の生糸の課税の如きも曩には敵意を示すが爲に増し今度は友誼を示すが爲めに■(にすい+「咸」)ずるやうの事情と爲らば我が生糸業者に對して非常の影響を及ぼす可きが故に心ある當業の人人は此邊の事情にも注目せざる可らず又内國の商政も次第に外國との關係を増して商賣の區域を廣めんとするの趣あるは是れ亦今日の實勢にして近頃世上の問題たる彼の米商會所に於て外國米を格付表に加ふるの説の如き愈愈之を實行したらば米商賣の區域を廣むること勿論にして今後米商賣の見込を立つるものは日本國内の豊凶を知り西〓、ベンゴル等南亞細亞米の相塲をも知り或は之を輸出せんとすれば英國倫敦、濠洲シドニー等の市塲にて米價の高低する割合をも知り爰に始めて其賣買を爲さざる可らず之を要するに人事進歩して隨て商業の局面を大にし其全面を一望して隅隅迄も見通しを附け急着緩着、落氏の機轉を誤まらざらんとするには十分なる智慮才覺を要す可きが故に今後の商人たる者は眼界を小部分に限らずして遠く其地平線を廣げ書籍に因り新聞紙に因り將た人の實話に因り或は自から海外に至りて商状視察の結果に因り其他種種の方便に因りて商賣上の智識を求むるに區域の廣きを期せざる可らず歐洲外交略の抑揚が日本の商政に響應して着着其利害を動かさんとする今日、商業家の眼界を豆大なる桃源郷に限り落花流水別に小天地を劃するが如き文明商人の事に非ずと覺悟す可きものなり