「商權回復の實手段」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「商權回復の實手段」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商權回復の實手段

我國の人、談外國貿易に及へば外國商人の我儘にして我が商人を眼下に見下し之を遇すること小兒の如くにして傍若無人の擧動少なからざるを憤り世に所謂商權回復の論を唱へざる者なしと雖ども其これを回復するの實手段に至りて却て漠然たるが如きは我輩の取らざる所なり抑も我外國貿易は足利の末世、葡萄牙人等の來航に因りて次第に其端を開きたる者にして爾後徳川氏の初代に至るまでは遠航冒險の氣風も起り帆前船に怒濤を凌きて臺灣、福州、支那近海は申すに及ばず呂宋、安南、交趾の邊まで遠く出張したる者もあり戰國尚武冒險の風、一般人民に行き渡りたる者が徳川偃武の世に逢ふて其餘勢を外國に洩さんとしたるものの如く當時徳川政府にて勉めて大膽政略を執り遠海航行を奬勵したらんには外國貿易も亦大に其面目を改めたることならんと雖ども三代將軍の治世に當り嚴に外交を禁じて鎖國の主義を守りたるより我外國貿易と云へば彼の長崎出嶋邊にて和蘭人との取引ありし位にして嘉永年間米國人が我れと通商を促かせしまでは外國貿易の名も實も共に微微たりしものの如し即ち我外國貿易の名實共に起りたるは嘉永開國四十年來の事にして此四十年を折半し上半は見習試驗中なりし者とすれば今日の外國貿易は其下半即ち正味二十年間に發達したる者にして年年歳歳その輸出入の數を増し明治二十二年度に至り一億三千萬圓餘の總額に達したるは異常の進歩と云はざるを得ず斯く貿易の進歩したるは誠に目出度き次第なれども是より先き此外國貿易に從事したる人は常時社會一般の氣風として外國人を夷狄視し彼等に對して信用など何かせん唯一時の外面を飾りて錢さへ分捕れば澤山なりとて茶煙草中に粗製品を交へ生糸の荷中に瓦礫を封じて一時の小奸策を行ふ等言語道斷なる擧動もありしかば左なきだに萬里の波濤を踰へて遙遙東洋に志を起す彼の商人、何れも一癖ある者共なれば此狡智惡策を防くが爲め勝手氣儘の規則を作りて之を貿易上の習慣と爲し直押と云ひペケと云ひ一旦賣買の約を爲して貨物を自家に引取りながら本國電報の模樣に因りて或は其直引を望み甚だしきは其儘破談して顧みざる等苟くも人間商賣の間柄に斯かる亂暴取引法の成り立つ可き筈なけれども如何せん我れは賣手にして彼れは買手なるのみならず當初此取引法を開くに附けては我商人の方にも弱點ありて寧ろ我れより促かしたるの姿あるが故に因襲の久しき不條理と云ひ不都合と知りつつも其儘今日に至りたることなれども近時我國の商人中には文明商賣の何事たるを知り大に商風を矯正せんとする者も少なからざる其矢先に當て實際の事情は右の次第なれば之を忍ばんとするも其弊に堪へず是に於てか彼の商權回復説を唱ふる者あるに至る、是れ亦一應尤なりと雖ども今の日本商人が自から奮て海外に赴き百難屈せず商業を彼の地に打立つるに至るまでは内地若くは開港塲に居て何程商權回復を唱へたりとて俗に所謂家の前の辨慶、外に出て蜆貝云云の笑を招くに止まりて遂に目的を達すること能はざる可し今試に其故を説かんに凡そ人間相對して長幼の序を生ずるには長者が幼者の幼時を知り之を記臆するが爲めなり何程才識ある人物にても長者が巳れの幼時を知りて足下も今日こそ成人したれ幼少の頃には斯く斯くの奇談又た云云の失策ありたり獨樂の廻はし方は某が教へて紙鳶は某が指南して揚けたり回顧すれば若干年の昔なれども彼の二本棒を垂らしたる有樣、今尚目前に見るが如し云云とて一一我が幼時を知らるるときは其今日の位地を忘れて先づ之を上席に置き之れに對して何となく下手に出でざるを得ざるは今日人間社會の常にして此幼時を知り居るは一種實見の力にして此力能く長幼の序を作るものの如し昔し耶蘇が四方を廻りて其教を説くに當り到る處之れに服して之を神とし信じたれども一朝その郷里に歸るに及んでは隣家の翁嫗皆な耶蘇の幼時を知り相替らず之を兒視して耳を傾くる者なきを以て流石の救世主も法を説かずして郷里を立去りたりと云ふ即ち大人耶蘇の如きも巳れの幼時を知る者の前には彼の實見力の壓する所となりて其神聖を現はすに由なし然るに今我が商人は在居留地外國人に向て頻りに巳れの伎倆を示し商權回復を實行せんとして果して其功を奏することを得べきや年來我が居留地に在住して我が商人と取引する外國人は皆な我が商人の幼時を知れり我が商人が銀四金一などと稱して世界金銀の釣合を知らざるが爲め金貨濫出の弊を生じたる時の有樣、又我商人が一時の權謀、生絲若くは茶煙草の中に瓦礫を混入して外國人の目を掠めんとしたる時の事情等凡そ我外國貿易上幼時の不始末不都合は歴歴彼れの眼中に殘るが故に今日我商人が成長して貿易上の經驗を積み立派なる身分となりたりとて舊時小兒らしき待遇法は是れより斷然改正して商賣取引總べて文明人同士の法則に依る可しと主張するも彼れは相替らず我れを兒視して所謂商權回復の説も徒に彼の冷笑する所と爲り之を唱へて年年意の如くならざるに終るは亦是非もなき事共なり             (未完)