「商權回復の實手段 (昨日の續)」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「商權回復の實手段 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我日本國の商人は自から其國産を直輸出して之を海外需要地に賣り捌くことを爲さず然らば輸入品は如何と云ふに矢張り外國人の手に掛り日本人にして自から直輸入する者は極めて稀なるが如し例へば我輸入品中重も立ちたる羅紗、金巾等は何人が之を輸入するや悉く外國人なるに非ずや英國リヴアプール港日本名譽領事ボウス氏は常に日本の爲めに謀りて此に慨する所あり其持論として述ぶる所を聞くにリヴアプール港は世界貿易の中心にして外國人の出入至て多く且つ古來の習慣に於て外國人の入來を嫌はざるのみならず斯る外國人が次第に土着して土地の商賣を繁昌せしむれば結局當港の繁昌たる可しと信じて成る可く外來人を優遇するは當港一種の美風にして目下當港に土着して商賣を營む外國人は凡十數種に上り數十人の晩餐會に臨み其席上を見渡して英國人は余(ボウス氏自から云ふ)一人のみなるを發見するは毎度の事なり左れば日本の貿易家も先づ此外國人に都合よきリヴアプール府に來られよ其取引店を開くとて决して大仕掛なるに及はず年に百五十圓位の店賃にて或る商館の四階目若くは五階目の小室を借り然る可き人の紹介を得てマンチヱスター其他各地の製造元と取引を開き扨て日本の本店にては金巾、羅紗其他何くれとなく問屋若くは小賣店の注文を受けて之をリヴアプール出店に報知すれば出店は夫れ夫れの取引製造元に就きて注文の製造品を仕入れリヴアプール出港東洋行きの便船に托して廻送するの都合となれば今日諸外國人が日本に輸入する品物を日本人自身の手にて輸入することとなり之より生ずる手數料は總べて日本人の收益たる可し日本人は内に居て漫に其商賣を廣げんとするも迚も意の如くならざるべければ手輕く先づ當港に來りて右等の商業取引を營み當國製造元よりは得意客として鄭重の取扱を受け己れの得意先きは自國の問屋小賣商にして日本人同士なれば萬事都合宜しく漸く取引の區域を擴めて漸く巨額の商賣と爲れば從來外國人の手に落ちたる口錢手數料等は漸く之を引上げて日本人の手に回復すること决して爲し難きに非ず云云と語り居る由、是れは固より一端に就ての立論なれども凡そ此等の方便に因りて外國貿易上に日本商人の手を下す可きものは極めて多端の事なるべく且つ彼の手數料なる者は製造元の手加■(にすい+「咸」)に因りて其多寡固より一ならざれども例へば汽船一艘を注文せんとすれば何れの造船會社にても此注文周旋人の望み通り手數料の名を以て一種の賄賂を差出すを例とし周旋人が中間に立て其多きを貪らんとすれば殆んど際限なきことなれども我日本人は政府を始め民間諸會社に至るまで此等の事情に暗きが故にや日本人の手にて仕入るることを得べき汽船若くは鐵道のレール其他製造諸機械をワザワザ外國人に依頼して右等の賄賂手數料を貪られたること其幾何なるを知る可らず凡そ外國商賣の情實は大抵此くの如き者なれば我商人は滿足なる足を持ちながら故らに跛者の爲を學んで内に蟄伏す可らず蟄伏して自から動かざる者は自然その■(しょうへん(将の左側)+「又」)益を■(にすい+「咸」)じて其實自から丹精を凝らして扨て出來上りたる甘汁芳餌は他人の飮食に供すること毎度其例なきに非ず俗間の小話に蟹が握飯を猿に與へて猿より■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)の實を貰ひ扨て此實を他に種て頓て一本の■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)の木と爲り■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)實紅累累たるに至り猿は木に攀て熟■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)を食ひ蟹には澁■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)を投げ附けて其甲を破りたりとの比喩あれども今の外國商人は恰も彼の猿の如し怜悧■(あしへん+「喬」)捷、利を逐ふて何れの處にも出張し他人の丹精して出來上りたる熟■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)を食はんとする者にして日本の人は蟹の如く米を作り茶を製し又生絲を製造すれども自から需要地に出張して之を賣り捌くこと能はざるが故に利益は猿に奪はれて己れは澁■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)のみを授り或は掛引に失敗して其甲を破らるるの塲合も少なからず左れば今より日本人は自から蟹たらずして彼の猿たらんことを學び何れの處にも出張して握食なり熟■(「柿」の異体字・Unicode:U+67F9)なり甘汁芳餌のあらん限り之を飮食して其腹を肥すの覺悟、甚だ肝要なる可きなり

右の如く日本人が自から海外に出掛けて海外商人と取引し堅く其信用を守りたらんには各地の商人は皆な我れを親愛し商賣上の益友として對等の交際取引を爲す可きや疑を容れず我輩の實驗を以てするに海外に居て未だ日本を見たることなく况して過去の商業履歴並に其習慣等毫も承知せざる者は唯日本人の談話を聞きて自から想像を■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)くのみなれども其日本と云へる想像■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)は或は其實を過て幾層立派なるものの如し凡そ人の想像は平常目視する所を基礎として■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)くものなれば例へば今洋行せざる日本人に語るに佛國巴里大博覽會の模樣を以てするも日本人は先づ上野の博覽會を基礎として少しく其想像を大にするに過きざれば到底巴里博覽會の大規模を寫すこと能はざれども西洋人は之れに反し平常大厦高屋に居り美麗なる市街を見るに慣れ居るが故に日本の或る都府にては戸戸既に電氣燈を■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)じたりなど云ふことを聞く毎に己れの市街の比較を以て非常に進歩したる者なりと想像し之れに加へて日本の美術品等を見れば靈工妙技他の文明國人を壓倒して企て及ふ可らざる所あるを認め遠方よりして日本を望めば一種想像的の蓬莱島、完全無缺なるが如く思はるるは人間想像の然らしむる所にして固より怪しむに足らず然るに今此蓬莱島より商人が自から出現して篤厚確實に取引せんとすれば先方も容易に接近して對等同格の商賣を開き其商賣の繁昌するに至れば我日本商人は開港塲居留の外國人に依頼せずして自から輸出輸入權を握り外に居て却て内を制するの姿にして居留の外國商人等も自然に憚る所を知り從來養ひ成したる取引上の舊弊害も遂には消滅するに至る可し即ち我商權回復の實手段にして手段此に出てざれば日本商人が開港塲に居て何程不平を鳴らしたりとて實際回復の功を奏すること思ひも寄らず萬論千言遂に無益たる可きものなり (完)

昨日の本欄初行論題の下に(昨日の續き)とあるは(去る廿九日の續き)の誤なり