「米國直輸出生絲論 一」
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時事新報に掲載された「米國直輸出生絲論 一」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
米國直輸出生絲論 一
日本生絲は如何にして米國に直輸出したるや
米國は新建國にして最初の程は人人殖産蓄財に忙はしく冒險企業の念熾なるが爲め衣服快適を求むるの情も餘り増長せざりしかども當世紀の下半に至りては富家豪族所在に崛起したるのみならず今は第一世富豪家の代を過ぎ去りて第二世第三世の世の中と爲り生れながらにして巨萬の身代を受け繼ぎたる者も多く衣食足りて贅澤起るは即ち人事の自然にして社會或る部分の人人は金を遣ふに先つ肉體快適の事より始めて次第に絹服の輕暖を悦び其頃よりして佛國その他歐洲製の絹織物を輸入すること次第に夥しく年年其需要の増加するに隨ひ自國自身にて織物業を開かんとするも亦商家自然の傾向にして今より凡そ十五年前、米國の内に其業の端を開くに至りたるが當時日本支那並に歐洲諸國より米國に輸入したる生絲總額、凡そ一萬俵にして其中四五百俵は歐洲絲、七八十俵は日本絲、其他九千四五百俵は總て支那絲なりしと云ふ斯て十五年以前に於て米國内に使用したる生絲は既に一萬俵に達したれども此絲たる多くは手工並にメシン縫絲に用ひて粗末なるリボン、ハンケチーフを除くの外、絶て絹織物と稱す可きものなし然るに此際フヰラデルフヰヤ府に萬國博覽會の開設あり佛國絹織物の出品は最も聲價を博したれば米國織物業者の奮勵熱心を促したること大方ならず是に於て該業者は自國に絹織業を開かんとして扨て其生絲を求めたるに歐洲絲は代價も高く且つ絲に練切れなどの癖ありて當時不熟練なる米國織物業者の手に合ひ難く然らば支那絲は如何と云ふに絲質に強力あるが爲め彼の〓絲には適當すれども何れも粗製手繰りにして直に織物に用ふ可きに非ず然るに我日本の生絲は恰も其中間に位して代價も餘り高からず製方も餘り粗末ならず米國機屋の需用に適したるのみならず其頃、我國より米國に渡りたる生絲は歐洲を經て持ち出したる者なれども明治九年桑港を經て始めて我機械製絲を輸出したるに最初は種種の苦情ありて俗に所謂食はず嫌ひの勢を呈せんとせしが當時紐育駐在領事の盡力もあり初度直輸出の事なれば英一斤六弗五十仙の價格を以て數百斤の注文を受け爾後まもなく生絲相塲の騰貴するに逢ひ多少の困難を極めたれども最初の取引に信を破るは永久の策に非ずとて斷じて其約を守りたるに注文人は大に驚き日本にも亦斯くの如き良生絲を産するやとて其絲を賞するのみならず併せて其取引上に信用あるを賞して次第に其需要を増し次で坐繰絲を輸出したるに是れ亦好評判を博し明治九年には僅僅百五十俵の輸出なりしが十年には千四百俵、十一年には三千二百俵と俄然その輸出額を増したるは當時横濱賣りと直輸賣りとの間に時として一俵二百弗位の相違もありて直輸出の割合よきを發見したれば明治十年以後は外國人の手にて輸出したるものも少なからす兎に角我米國向き輸出生絲は年年歳歳その額を増して昨二十二年度には實に二萬四千俵に達し米國にて使用する生絲總額十分の六を占むるに至れり今米國絹絲公會の調査に據るに明治十六年度より同二十二年度に至るまで歐洲、日本及び支那より米國に輸入したる生絲仕譯表は左の如し
一月ヨリ十二月 歐 洲 日 本 香 港 上 海 合 計
年度
一千八百八十三年
明治十六年 三、六〇八 一一、四五〇 五、四三五 四、五四〇 二五、〇三三
一千八百八十四年
同 十七年 四、〇二二 一〇、二一三 三、九五五 五、二一四 二三、四〇四
一千八百八十五年
同 十八年 五、二四七 一一、三二九 四、一六二 五、五六八 二六、三〇六
一千八百八十六年
同 十九年 五、九五一 一五、二〇四 四、七八八 七、五一七 三三、四六〇
一千八百八十七年
同 二十年 五、七三一 一六、四一七 六、七〇七 五、〇一二 三三、八六七
一千八百八十八年
同 廿一年 六、七九四 一八、五一九 七、六二五 五、九一八 三八、八五六
一千九百八十九年
同 廿二年 九、四〇一 二三、三三四 六、五四六 六、三三六 四、二六一七
合 計 三七、七五四 一〇六、四六六 三九、二一八 四〇、一〇五 二二三、五四三
右の表に據れば米國絹織物業の進歩と共に歐洲絲も支那絲も共に其輸出額を増加したれども我生絲の中に就き最も著しき増加ありしは米國織物業の始めて萌芽を發したる時に恰も我生絲の同國に入りて初生の樹木と初生の蔦が互に相結托して其成長を共にしたるの姿あるが故にして一方の織物業が進歩すれば一方の輸出額も亦増加し我生絲直輸家が今後彼の織物業者に對して益益信用を博すると同時に内の生絲製造家も亦同心恊力して益益その製絲を改良し以て米國需要家の好尚に投ずることを謀らば今後も今日までの比例を以てますます我生絲の輸出額を増すこと决して望みなきに非ず我輩は日本富國の大要訣、殆んど此一事に在る可しと信じて國の爲めに偏に其此くの如くならんことを希望するものなり