「米國直輸出生絲論 三」
このページについて
時事新報に掲載された「米國直輸出生絲論 三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大に生絲取引法を改良す可し
我生絲は後來米國を常得意として大に其販路を開かざる可らずとして扨て其手段を求むるに先づ其賣買取引上に大改良を施すこと肝要なる可し今伊太利、佛蘭西等歐洲生絲商人の取引法を見るに去る九日の時事新報紙上にも記載したる如く絲商人は數箇の生絲製造塲と一手專賣に類する特約を結び云はば其委托を受けて絲の賣込を周旋する者にして荷主は例年その生絲を同じ絲商人に托するが故に絲商人は需要者に對して前前より賣込の約束を整へ其賣込みたる生絲に就き需要機屋の方に於て品質に云云の缺■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)あり光澤に如何なる不都合ありて強弱に箇樣の相違ありなど何か苦情を陳するときは直に本地製造塲に向て需要者の所望如何を示し又不都合の廉廉は夫れ夫れ其助言を與へて後來の警戒に供するなど絲商人は生絲製造所とも懇親にして需要機屋とも親密の關係あり此兩問に周旋して雙方の聯絡を通ずること即ち歐洲絲商人の風習にして近來伊太利生絲商が販路を米國に開かんとするに就ても亦此風習を持參して一定したる製造塲の生絲を一定したる得意先きに賣渡し年年歳歳その取引を變せずして機屋の便利を謀るが故に機屋は今年より明年明後年を見込みて安んじて生絲を注文することを得、價に多少の相違あるも商賣上の不定且つ不安心なるには換へ難く其取引の今後次第に廣がるに隨ひ注文人氣の次第に之れに赴くに至るは今より卜知することを得べし左れば我生絲取引法も歐洲絲商人の風習に傚ひ商人は生絲需要者と其製造者との間に立ちて其關係を密接し需要者が買入れたる生絲に就き後日に苦情を言ふときは絲商人は其情を察して之を其製絲家に掛合ひ雙方の情意を貫通して自然製絲改良の端を開くの工風なかる可らざれども從來横濱邊に居留する外國商は生絲商人の其又取次を爲す者にして例へば佛國生絲商が我生絲買入を横濱の外國商に命ずれば外國商は之を仕入れて佛國生絲商に送り佛國坐絲商は之を其土地の機屋に賣込むの順序にして其賣込みたる生絲に就き何か不充分の廉あればとて機屋は佛國生絲商に向て種種の苦情を述ぶ可しと雖も彼の生絲商は其苦情を在日本の外國商に言ひ送るも馬耳東風固より無効なるを知り需要機屋の苦情も所望も佛國生絲商までには達すれども夫れより我居留外國商を經て日本の生絲商人に達せざるが故に我商人は生絲の精粗を〓はず唯〓前の體裁を作りて之を外國商に賣渡し其代價さへ受取れば之を限りに關係を絶ち其生絲の良否に就き後日先方に苦情あるも之を關心するの要なし故に生絲製造者も亦目前の營利を旨として專ら製絲の表面を裝ひ以て一時を僥倖することなきにあらざれば是れまで製造に熱心して手數を愛まず年年良品を製したる者も其割合に好き價を得ざるを後悔して漸く濫製に赴くの事情ありと云ふ人情當然の次第にして斯る有樣にて今後幾年も持續する限りは日本絲の製造法は必ず退くことあるも進歩は覺束なきことなる可し即ち此弊を一掃して改良の實効を奏せんとするには先つ我直輸出の道を弘め此直輸出者が先方機屋と我製絲家との間に立て彼我の情實を貫通し雙方の關係を密着すること最も緊要なる可きなり
凡そ生絲の取引は其金額莫大にして之れに關する彼我の利害は固より種種樣樣なれども我生絲商人は資力の充分ならざるが爲めか相塲の下直に向ふに際して徃徃彼の投賣を爲し之を賣る者ますます多くして其下直も亦殆んど底止する所を知らざることあり是れ我生絲商人が腰の弱きを外商に示して其足元を見すかさるる所以にして我損毛の夥しきは固より言を待たざれども斯く絲相塲を引下ぐるが爲めに彼の機屋を苦しむることなきに非ず蓋し絹織物の商賣には年年春秋の季節あり今春季商賣の前に當り生絲一俵六百弗の仕入と見れば一ヤード一弗位の賣出にして正に其商賣を開んとする途端に我生絲商人は例の通り弱腰にして五百五十弗に下げ同四十弗に下げ或は其以下とも爲す時は折角取極たる織物の直段も爲に影響を蒙りて之を引下けざる可らざるの塲合と爲り彼の機屋は日本商が如何なれば斯く持久力の薄弱なるやと頗る迷惑し又嘆息すること毎度なりと云ふ又我生絲商人は絲荷を一度に引き集めて一度に輸出を爲す者あれども先方機屋の都合より云ふも又絲の相塲維持上より云ふも一度に多くの絲荷を出すは决して望ましき事に非ず上等絲は上等にして齊一ならしめ下等絲は下等にして揚返し綾取り等を深切にし充分改良を加へたる生絲を一手專賣に類する直輸出者に托してて之を製する傍よポツポツ海外に送り出し先方機屋もポツポツ買ふて一時に多くの絲荷を仕入れ徒に金利を損せざるやう雙方の便利を謀らざる可らず斯くて先方の需要に適したる改良製絲を輸出すれば目今機屋發達の著しき米國に於て行く行く大に其需要を増すの望なきに非ず現に去る明治十八年及び同廿二年に於ける米國産織物并に輸入織物額を比較すれば左の如し
明治十八年度 同二十二年度
米國産織物額 三千二百萬弗 四千六百萬弗
輸入織物額 二千三百萬弗 三千四百萬弗
合 計 五千五百萬弗 八千萬弗
右の如く米國にては年年絹織物の需要を増し輸入織物額を加ふると同時に自國産織物額をも増加するの勢あるが故に我生絲商人が製絲家と共に心を恊せて米國を常得意とするの方案を立て以て大に其取引法を改むることもあらば今後此一方に向て何程我生絲の輸出額を増加するや殆んど測り知る可らざらん我輩は我生絲業の當局者が今日に及んで細思熟考、國家百年の貿易の爲めに充分の方案を立てられんことを希望するものなり