「美術工藝の源を養ふ可し」
このページについて
時事新報に掲載された「美術工藝の源を養ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
美術工藝の源を養ふ可し
明治二十一年我國より海外に輸出したる家具及日用具類は百六十八萬七千餘圓、陶磁器及玻■(おうへん+「黎」)器類は百三十五萬四千餘圓、何れも一廉の金額なりと云ふ可し或る人の説に此等の輸出工藝品は多くは安直物にして高價の〓繪、彫刻品若くは陶銅漆器類は高の知れたる者なるが如し而して其安直物は必ずしも美術家の考案を要せず其向きの俗商輩が商賣一方を目當として思ひ思ひの工夫を暮らせば所謂素人好きの品物を得て西洋人中の評判も自から高きを致すを例とす左れば日本の人人が海外輸出品に就き毎度美術云云を談ずれども實際巨〓の〓賣品は所謂美術家の手を煩はさずして差支なく出來す可しなど云ふ者あり一應尤もなるが如くなれども其實は决して然らず國に非凡なる美術家ありて其錦心〓〓を絞り世間の好尚に訴へて當世を風靡するの勢を成せば其妙思逸想は知らず識らず國中に浸潤して美術意匠の源と爲り尋常下流の職工迄も自然その餘流を汲むに至るは即ち美術家の功徳として爭ふ可らざるものなり例へば我輸出品中の提燈、錦畫、團扇等に畫きたる〓〓并に其畫趣は重に浮世畫派北齋豐國以下の我が日本社會の風俗を寫して其情致を極めたる〓意餘流に非ざるはなく京都に有名なる友禪染も今より二百六十年前畫家友禪なる者が紋樣色彩等を工風したるを以て〓に〓〓ありと云ひ其他仔細に〓〓すれば尋常安直物なりと雖ども苟も〓〓〓の品類にして明暗〓〓、大美術家の恩惠を蒙らざるものなし左れば美術品を一種の國産として絶えず其意匠の變化を求め海外諸國人の需要に應ぜんとするには國に幾多の大美術家を生じて妙思逸想の源を養ふこと最も肝要なる可きなり即ち工藝美術奬勵の大切なる所以にして其奬勵法の普通なる者二樣あり
第一完全なる美術館を設くる事なり葢し西洋の美術館は其種類固より區區にして例は佛國ルーブル宮の繪畫室ルキセンボルグ宮の美術館若くは伊太利ウワチガンなる羅馬法王の美術陳列所の如き徃時國王法王等が累代相集め相傳へて今日に至りたる者にして其規模の宏大なる固より言を待たず又彼の英國のナシヨナル ミユージアムの如きは中央政府の力を以て時時名品を購入し其維持一切の費用を辨ずるの趣向にして是より以下は府立あり又私立あり或は名家の珍品を一般公衆に示さんとて之を或る美術館に寄賦し若くは之を貸與すれば美術館にては其品に何人より寄賦されたり又は借用したりとて其來歴を附記するのみならず美術館案内書中にも一一之を表出するが故に人人進んで其品を出し靈寶逸品一處に集まり美術工藝の士人輩は因て以て先輩の用意技術を窺ふべく世上一般の人人は因て以て其美術心を養ひ欽仰景慕の念を増し温故知新の功を加ふることを得べし
第二鄭重なる美術院を設くる事なり英國にはロヤル アカデミーと稱する美術院あり是は佛國サロン(或はパレー ド インダストリとも云ひ美術品展覽館なり)の仕組に因りて多少の取捨を加へたる者にして毎年五月の初より國中美術家の出品を集めて其展覽會を開き連年評判よき出品者をばアカデミー會員の撰を以て之を準會員に列し四十名の本會員中追て欠員を生ずるを待ちて順次之を本會員と爲すの趣向にして準會員たり將た本會員たるの榮譽は啻に榮譽のみならず其手に成りたる美術品其物も光を放ちて實物の報酬を増加するの實あるが故に例年の出品者は爭ふて其丹精を極むることにして美術奬勵上最も有効なる者なりといふ
右の二箇條は美術奬勵上最も普通なる者なれども我國にては往時財産權固からずして名品逸物動もすれば權門の奪ふ所と爲り或は盜火難に罹るを恐れて常に之を祕匿したる時の遺風を守り古人畢生の丹精を暗室私〓に禁錮して之を美術館等に出すを好まず隨て完全なる美術館を設けんとするの意なきものの如し又近頃の思附にて繪畫共進會は連年開設の運びに至りたれとも本來その美術家がロヤル アカデミーの如き仕組を設けて身の重きを致すと同時に其會員に列すれば名譽は勿論、其美術の價格上に大影響を及す等の奬勵法なきが故に彼の繪畫共進會も格別の効用なきものの如し遺憾なりと云ふ可し日本は東洋の美術國にして其美術を美術として聲價を博するのみならず之を萬〓の商品に適〓して其宜を得るときは美術奬勵の効空からず實に一〓の〓入を増加す可きの望あるが故に或は完全なる美術館を假り或は鄭重なる美術院の組織を假り或は帝室の靈光を假り或は好美術家の助力を假り世間一般、其物を重んじて其人を敬し以て斯道の發達を謀らざる可らず樹木は之を培養せざる處に繁茂せず美術は之を珍重せざる處に發達せず今日佛國が美術を以て天下に冠絶するの勢あるも常に其美術を尊重するが故にして千八百七十年普佛の戰爭正に收まり佛國は五十億フランクの償金を拂はんとする折柄、伊太利有名の油畫を賣らんとするものある佛國政府は時の國會議院に附するに之を購求す可きや如何の問題を以てしたるに佛國富實の根本は實に美術上の工藝に在り目前の急に狼狽して其富源を養ふ可き無比の良品を擲棄するは國の長計に非ざるなりとて凡そ三十萬フランクを出して之を購求するに决したりと云ふ當時の事情より考へて佛國人の心事を推せば其美術を重んずるの念慮、殊勝にも又頼母しからずや今世の人動もすれば説を爲して日本の美術は衰退して復た起つ可らずなど云ふ者あれども世に千里の馬なきを患へず唯伯樂なきを患ふ云云の本文に違はず天下决して大美術家なきを患へず國家大美術を要することあれば需要に應じて崛起す可き者あるや疑を容れず彼の有名なる狩野家の如きも徳川家並に諸大名が宮殿城閣の障壁を開て其手腕を揮はしめたればこそ始めて大に其力を顯はしたるなれ即ち徳川の世に發達したる我日本の諸美術は全く地に墜ちたるに非ず名品を需用する者さへあれば名工は次第に出で來り維新以來一時凋零したる美術の枯木に再び花を發せしむること决して望みなきに非ず我輩は我國の爲めに謀り又斯道の爲めに謀りて其斯くの如くならんことを祈るものなり