「禮儀作法は忽にす可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「禮儀作法は忽にす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

禮儀作法は忽にす可らず

文明の進歩し隨て人事の繁多なると共に人人平日の交際に虚禮虚飾を去り萬事すべて簡易輕便を旨とするは自然の勢にして爭ふ可らざる所なれども其所謂簡易輕便なるものは妄慢無禮を以て貴しとするにあらず彼の未開の時代に行はれたる叩頭稽首の禮の如きは即ち虚禮虚飾に外ならずして人文開明の今日にこそ行はれざれ今の文明の社會と雖も人人の交際には簡易輕便中亦おのづから禮儀作法なきにあらず唯その空文虚飾に流るるを厭ふのみ左れば西洋諸國に於ては公會宴席などに特に禮式を重んずるは申す迄もなく乃ち私の交際に於ても夫夫の禮法ありて妄慢無禮の擧動は最も謹しむ所なりと云ふ我國の如きも維新以來人文の進歩と共に從來の空文虚飾を一掃し人事の交際すべて簡易輕便を旨とするに至りたるは誠に祝す可きに似たれども其弊や時として妄慢無禮に流れ宜しく禮法を守る可き塲合にも之を守らずして亂暴粗野の態を演出するは我輩の感服する能はざる所なり蓬頭粗服虱を捫て王公の前に談笑するは古の儒生の得意とする所なれども一面識もなき者が紹介状をも持參せずして叨りに身分ある人の門を叩くは今日の禮法にて不都合なりと云はざるを得ず箕踞袒裼他人の前を憚らざるは親友別懇の間の交際には或は許す可しと雖も衆人公會の席に於ては之を咎めざる可らず抑も一國の品格なるものは其國民個個の品格に外ならざるが故に若しも其國民の人品にして卑しきときは如何に國品の高尚なることを望むも决して得べからず而して人品の高下は外見に於ては禮を知ると知らざると之を守ると守らざるとに依り大に差別あるものにて外國人の眼より其國の品格を見るには先づ其國民の人品如何に注目すること勿論なれば人民が平素の交際上に於ける品格の高下如何は外に對して非常の關係あることを忘る可らず且つ又平常人と人と相對する塲合に於ても其擧止進退に禮あると否らざるとは其人物の輕重に關すること大にして例へば公私の席上にて人と談論するに當り他を感服せしむるの要は第一に論理論辨に在ること勿論なれども又其風采擧動の人を動かすに與りて力あることは世人の既に認識する所なり左れば人人の威儀風采の如何は之を小にして一個人の品位に關し之を大にしては一國の品位にも關するものにして其事たる决して輕視す可きものにあらず我輩は元來武骨殺風景の生れにして區區たる禮節の末に拘泥するが如きは固より好まざる所なれども唯世俗の弊の漫に粗野亂暴に流れて士人たるの威儀風采を顧みざる其結果は獨り一個人の私に他の侮を招くのみならずして遂に國の體面上に不利なる可きを思ひ聊か茲に一言するものなり