「横濱に生絲相塲所を設立す可し(昨日の續)」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「横濱に生絲相塲所を設立す可し(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本國中生絲相塲所を設くるの塲所を求むれば先づ指を横濱に屈せざるを得ず塲所既に定まりて第一着に生絲相塲所を設立せんとすれば利害の論も亦多岐ならざるを得ず蓋し從來の習慣に於て生絲商と云へば投機類似の營業なるが如く思ふ者も少なからざる其中に生絲相塲所設立と聞かば左なきだに投機類似の營業を其相塲所の設立に因りて眞症投機業に變形し實業社會に病〓を流すに至る可しとて漠然杞憂を抱くものもあらんと雖ども事の實際は决して然らず本來生絲は貴重なる産物にして其最上品は目方にして純金三分一の價直ありと云ひ資本の少なく金利の高き我日本國に於ては之を製造する者も之を販賣する者も自由に此物産を取扱ふ丈けの資本なく高利の金を借用して其製造販賣に從事するが故に一朝相塲の逆運に逢へば順運循環を待つこと能はず精盡き力窮まりて忽ち我弱腰を示し相手の外國商人に其足元を窺れて結局投賣の窮策に出で爭ふて相塲を賣崩すなどの例は珍らしからず扨てこそ一般人の眼に映じて生絲商は投機業に類似するものなりとの感想を生ぜしめたることなる可けれ一應尤なるが如くなれども多年實驗の跡に就て靜に生絲相塲を觀察するときは之を他の商品に比して浮沈の殊に甚だしきを見ず例へば生絲一梱を假りに六百圓と見て騰貴するも先づ以て七百圓を超えず下落するも亦五百圓に■(にすい+「咸」)ぜず即ち六百圓を界にして前後百圓の間に昇降するものの如し然るに今彼の羊毛の相塲を見れば一封度英貨七ペンスより十一二ペンスの間にして其一封度に就き競賣直段に一ペンス半乃至二ペンスの高下を生ずるは毎度我輩の目撃せし所にして其浮沈は生絲相塲の高下より却て甚だしき者あれども歐米諸國の間にては羊毛商を投機〓〓するものなく尋常確實の營業として毫も掛念する所なきに然るに我生絲に限り賣買取引上に投機の色を〓するが如き其製造販賣者が十分の資力を備へずして〓少の浮沈にも動搖され持久自重徐に商機の來るを待つこと能はざると生絲相塲所の仕組なきが爲め製絲家も生絲商も前途の相塲を測り兼ねて絲値に多少の下落を見れば銘銘〓心に恐怖を生じて忽ち賣逃げの策に出づるか或は〓に買入を辭して其商賣に始終活氣を保つこと能はざると此兩樣の事情あるが爲めにして此際横濱の如き〓〓の市塲に其相塲所を設立することあらんには〓の〓〓〓〓をして一〓投機〓〓〓つかしむるに引き替へ〓〓〓〓〓〓にして其資〓金を維持することを〓〓もとの〓〓は他に非ず今生絲相塲所ありて向ふ三箇月までの先物を賣買することを得ば毎年六月の初繭季節に七月期八月期の生絲賣買を約定し其約定直段を目當として何程までの相塲ならば彼の初繭を買入れて之を絲に製するに何程を要し約定期限に實物を渡して差引何程の損益ありと今日に居て二箇月三箇月後の胸算を定め寸前暗黒朝夕を測ること能はざるの舊慣を脱す可きが故に生絲の賣買上に於て一層の便利を増すのみならず實業家も前途を測りて安んじて仕入を爲すことを得べく生絲相塲所は生絲商業をして實際安心の地を得せしむるの事端とも爲る可し且つ我産出の生絲額は世界生絲の幾割を占むる程なるに其相塲を定むるの塲所なく歐米生絲商人は日日我生絲相塲を〓て其傾向を察すること能はざれども今若し生絲相塲所を設けて日日の相塲高低を歐米市塲に電報すれば今後我生絲産額の益益増加するに隨ひ日本生絲市塲の浮沈は世界の相塲を動かすの勢を成す可きや必せり斯くてこそ我生絲商業も世界に重きを爲すものにして今日その端を開かんとすれば先づ適當の地を撰んで生絲相塲所を設くること最も肝要なる可きなり人或は説を爲して今生絲相塲所を設けて大に其取引を開かんとせば先づ生絲格付を定めて之れに凖せざる可らざれども目下我國生絲の種類は固より雜多なるが故に此不揃の絲に格付を立てて滑に取引を行ふこと甚だ六箇しからん云云と云ふものあり生絲相塲所設立の當初には或は左る事情もあらんと雖ども我米穀の多種類なる尚之れに差等を立てて米商會所に米相塲の行はるるを見れば生絲の相塲附を定めて其取引の習慣を養ふこと亦决して難きに非ず或は其間に困難もあらば生絲の■(てへん+「檢」の右側)査に老練なる其向きの人を■(てへん+「檢」の右側)査役として格付に關する一切の吟味は總べて此■(てへん+「檢」の右側)査役の裁斷に任じて當初取引の習慣を養ふも可ならん兎に角我生絲の産額は年年歳歳増加して其取引金額の大なること他に比類なきにも關せず從來生絲賣買上に佳制良法を導くの念なく彼の最も普通なる競賣仕組の如き者すら尚之を行ふに及ばざるは我輩の遺憾とする所なり勿論商賣社會には舊來の慣例もあるが故に俄に新仕組を導くには種種の困難もあらんと雖ども競賣法の如き相塲所の如き我國の商業社會に於て决して新らしき仕組に非ず唯此仕組の生絲商間に行はれざるは製絲家の爲めにも生絲商の爲めにも共に不便利不得策なるが故に我輩は我生絲の輻輳地たる彼の横濱港に於て速に生絲相塲所設立の擧あらんことを偏に希望する所のものなり                     (完)