「法律の始末」
このページについて
時事新報に掲載された「法律の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
法律の始末
國會將さに開かんとして政府は其凖備に忙はしく就中會計の事は特に注意する所にして例へば從前士族の授産、商工業の奬勵など稱して在る會社又は或る人へ貸渡したる資金等も今度は悉皆その始末して取る可きは取り、與ふ可きは與へて今より後日の紛紜を絶ち以て國會の席に面倒を少なくせんとの意なるよし至極尤なる次第にして金を貸したるは既往の事に屬し其時には種種樣樣入込みたる情實もありしことなれば今日と爲りて唯その證文のみ殘りて取立べき金なきものを其ままに差置くときは正味の金は政府に返らずして徒に紛議の種を國會に遺すの姿なるが故に一刀兩斷の處分は誠に今日に於て要用なる可し然るに我輩は政府の爲めに謀り金の始末の外に尚ほ始末す可きものあれば敢て當局者の注意を促さざるを得ず即ち前年政府より公布したる法律の事なり例へば石油取締規則の始めて世に現はれたるは明治十四年のことにして十六年二月に至り之を改定して更に布告したれども其ままに施行を延期せられて爾來何等の沙汰を聞かず當時石油發焔點の高低に就ては頻りに取調ありて學術上に於ては舊工部大學校の教頭ダイベルス氏を始めとして宇都宮三郎氏中村貞吉氏等も取調を嘱托せられ今尚ほ其囑托中なりと云ふ今日に於ては朝野殆んど忘れたるが如くなれどもいよいよ國會の開塲に及び議員が疑を起して彼の石油取締規則は何の要用の爲めに發布して何の差支の爲めに數年の久しき之を實施せざるや今後の始末は如何するやと質問することもあらば當局者の答辨は隨分面倒なる可し又有名なるブールスの一條も今日尚ほ未だ〓末に至らず取引所條例は發布したれども取引の實地に施す可らざるは明白なるにも拘はらず舊相塲所は之を〓するとて明治二十四年七月までの生存を許したり、行はれざるの新法を行はんとして舊法の廢止には期限を定めたり、政府は何等の要用に迫られて人民の商賣上に斯る大變動を起したるや我輩は初めより其理由の所在を知〓ざるものなり商賣に相塲所の必要なるは既に人の〓に知る所にして今更疑ふ者もなく定〓の賣買あれば其間に投機の行はるるも免かる可らざる〓にして之を禁ずるの方便あるを聞かず唯我國の古學者流の輩が商賣の主義を知らずして漫に喙を容れ時時商况の變を見て奸商の所業など唱ふる陋論に逢ふては相塲所も當惑の次第なれども所謂奸商論も今日と爲りては最早や陳腐にして耳を傾くる者もなかる可ければ之を度外に置き、いよいよ政府の見る所にて舊相塲所の規則に不都合ありと認むるならば商人等と恊議して徐徐に改正を施す可きのみ實際に行はる可らざる新法を設けて之を行ふにもあらず又廢するにもあらず人民の大利害を半空に懸けて其私有を浮雲の如くならしむるは是れぞ無益の殺生にして利民の本色にあらざればブールスの新法も彼の石油取締規則と共に今日唯今斷然廢止する方官民雙方の利益なる可し或は一度び公布したる法律は假令へ實際に行はれざるにもせよ其儘に止むるは不都合なるが故に何とか改正を加へて其事實ひ差支の部分のみを除き兎も角もして新法を維持せんとの説あれども是れは誠に益もなきことにして所謂差支の部分を除き盡せば新法は唯名のみ存して有名無實に歸す可し石油規則とて其溌焔の度を低くすれば一切差支なかる可しと雖も斯る規則を設るは無規則の無事なるに若かずブールスの法も亦斯の如し其箇條中に就て此れを改め夫れを除き段段に改正すれば殆んど舊相塲所の規則に等しきものを生ず可きが故に斯る手數を煩はして人民の商賣安を犯すよりも簡單に舊法を存して唯止むを得ざる處に限りて改正を施す可きのみ政府は正に國會の凖備に忙はしと云ふ其多事繁忙の中に實際に行はれざる法律を遺して議塲に論柄を與へ質問と云ひ答辨と云ひ徒に時日を費して事に益する所なきは凖備の旨にあらざるか如し左なきだに我輩は國會議塲の多言を恐るる者にして成る可くは發會の當分數年の間は議論を少なくし政府も人民も諸共に次第に事に慣れて次第に會議の佳境に入らんことを冀望し樣樣に苦慮する其最中に分り切つたる屈強の論柄を遺して議塲の質問答辨の資に供せんとす之を評して政治家の事と云ふ可らず但し多事を悦ぶは少年の常なればブールス法の改正を云云して從來の相塲所を此方向に導き日本の商法を斯の如くして全體の氣風を一新するなど種種無量の新案は多分政府中の第二三流に行はるることならんなれども新案必ずしも妙ならず今の政府の必要は兎も角もして民安を維持するに在り進で人を導て事を起さんよりも退て民利を保護して物論の生ずるを防くこそ智者の事なれ其際には或は堪へ難き塲合もあらんなれども國勢大變革の今の時に當りては政府の長老たる者は心事を鐵石にして細利害を放棄し以て數年間の波瀾に堪へんこと我輩の竊に祈る所なり