「北海道の離宮」
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時事新報に掲載された「北海道の離宮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
北海道の離宮
北海道石狩國上川郡に離宮を設置せらるゝ旨北海道廳長官へ達せられたるは昨廿二年十二
月の事なり當時我輩思へらく是れは尋常一樣の離宮に非ずして北地の拓地殖民を奬勵せん
が爲め特に社會人民の耳目を引きたるものなるべし就ては皇族の方々にも出御あらせられ
又華族諸氏に於ても彼地に居宅を構へるこそ聖意を奉戴する所以なるべしとの旨を開陳せ
しが爾來指を屈すれば殆んど七閲月未だ政府に於て何等の沙汰あるを聞かず蓋し政海事多
くして寸暇を得ざるの事情もあるべき歟なれども經世の利害に照して北海道の土地となり
を眺むるときは内地過溢の人口を移して其富源を開發するより急なるはなし我輩の屡々論
じたる所にして爰に再三するを要せざる程なれども今日の實際に於て同道に移住する者の
貫屬を吟味すれば多くは北陸東山兩道の人民にして此兩道の如きは他に比して生計に餘裕
あるにも拘はらず先進の移住民が身代を高めたるの例證に誘はれて利を追ふの人心駐む可
らず續々渡航するの有樣なるに之に引替へ中國九州邊の如きは人口最も稠密にして生活の
困難も亦一入なれども今に至るまで遂に北海道移住を思立つこと能はず數千年來天與の地
力既に盡き果て今は僅に肥料に依頼して耕作を維持し累世困苦の裡に齷齪して目前にも將
來にも思はしき見込もなき人民等が何を苦んで此北海の利源に群集せざるやと云ふに唯風
凛雪冽沍寒堪へ難き上に熊の如き猛獣時々に現はれ出でゝ人を噛殺すなど云ふ一塲の話を
聞き其話に尾鰭を付けて想像を加へあらぬ事まで恐怖の念を促すに外ならず成程北海道は
氣候寒きに相違なけれども米國の紐育邊と略々相同じきものにして素より堪へ難き所にあ
らず論より證據は現に札幌その他に於て人家の増殖すること目を驚す計りにして十日見ぬ
間の郊外に別世界を呈出するは近來の實况なりと云ふ斯る良土にして猶ほ耕されざるの地
積殆んど三十億坪(平原のみにて)もありて之を委棄するは國の爲めに最も惜むべく多々
ますます移住を要して唯その足らざるを憾むのみ况んや炭山あり鑛山ありて金滿家の資本
を投ずべきもの少なからざるに一種の想像に誤られて容易に其利を拾ふに至らず遺憾至極
の次第なれば曩に帝室に於て離宮設置の御沙汰ありたるこそ人心を誘導するの最好方便な
りとして我輩は天下の爲めに速に着手せられんことを期望し北海道の人士も亦聖意の厚に
感泣して離宮設置の爲め材木金錢勞力等を獻納せんとて宮内省へ出願したる者少なからざ
りし趣なり人或は説をなして離宮設置の塲所と定められたる上川郡は地形偏僻にして運送
の便利を欠くが故に俄に工事を起すは入費の點に於て得策ならず是れ蓋し延引の一理由な
るべしと云ふ者あれども近傍に材木も少なからざるは勿論札幌より空知太に至るまでの間
は鐵道の便あり夫れより大道砥の如くにして神〓(ルビ・ゐ)古潭(因に云ふ神居古潭は
石狩川の上流にあり兩岸の峰巒相迫て奔湍を夾み松林櫻樹笑ひ迎へて雅致眞に天園の如し
故に此名ありと)より僅かの間のみ人肩馬背を要することなれば敢て左程に不便なりと云
ふにあらず况んや帝德洪大斯民の仰慕すること彼の如きに於てをや政府は斷然議を定めて
一日も早く工事に着手せられんことを待つ者なり