「農商務省の省是を定む可し」
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本文
農商務省の省是を定む可し
農商務省立省以來僅々十年の其間に長官交迭の頻繁なりしこと他に其類例を見ず其交迭あ
る毎に長官の思ひ思ひに銘策奇案を出さんとして事を繁くしたるの一事も亦他に類例なか
る可しブールス條例は發布したる儘その實施を延期したれども來る明治二十四年に至りて
果して之を實施することを得べきや如何、是れ實に今日の問題なるべく鑛山條例は大に改
正する所ある可しと云ひ度量衡條例も亦その面目を改む可しと云ひ從來民間私の集會たり
し彼の商法會議所に就ても更に新條例を作りて之れに附するに官の性質を以てせんとする
の趣向ありと云ひ其他林政の事なり或は又諸物産保護奬勵の事なり事務多端殆んど名状す
可らざる其中には弊根もあらん病因もあらんと思はるれども新任陸奥農商務大臣は如何な
る施術を以て之を根治せんと欲するや從來農商務省の流儀を見るに所謂勸業を目的として
知らず識らず其事を繁くしたる者にして今後長く此流儀を傳ふ可きに非ず新任大臣は之れ
に處して進退何れの方向を取らんとするか大に其手を廣げんとするか或は之れを縮めんと
するか我輩若し他日大臣の所思を叩くことを得ば追て其得失を論評するの時ある可し因て
今我輩は從來農商務省の成績に因り今後の方針上に關して聊か卑見を開陳する所あらんと
欲するなり
抑明治十四年政府部内の都合に因り農商務省を設立してより爰に十年、此間省の事務とし
て世上に發表したる者は固より多種多端なる其中、何々博覽會と云ひ又共進會と云ひ水産
農産等の發達を助けたるは西洋諸國の模本に因りて胡蘆を〓きたる者にして固より新案た
るに非ざれども其結果の割合に美なりしことは疑を容れず專賣特許と云ひ商標登録と云ひ
何れも文明國に普通なる仕組にして之を我國に施行して其効能の普通に顯はれたるは人の
能く知る所なり凡そ此等二三の事業は農商務省の功益として爭ふ可らざるものなれども其
他省務の大體より云へば勸藥に渉りては繁冗に流れ新法を作りては紛擾を招き百膏千〓
〔そう、草冠に滄〕、手を下して毎度その始末に當惑したるものゝ如し例へばブールス條例
の如きイヨイヨ之を實施して一時に舊習慣を打ち破り商賣社會に言ふ可らざるの混雜を來
すことなきや如何は姑く置き斯かる新法を導かんと甲是乙非、條例發布の前後より實施延
期に至るまで全國米商會所、株式取引所等の株券に其都度異常の亂高下を生じて當業者を
迷惑せしめたる其間接直接の損害も中々容易ならざる可し又彼の勸業等に渉りては官民相
對して事を爲すに手續萬端乙甲にして例へば農業奬勵の爲め政府が一挺の鍬を人民に貸下
ぐるの塲合ありと假定せんに縣廳より郡役所、郡役所より戸長役塲と順次逓傳して一個人
の手に渡り一個人が此鍬を試用して餘り實用に立たざるか或は破損などありて之を政府に
返還せんとすれば幾通の書面を認めて順次之れ遞上せざるを得ず斯くて農商務省にては其
書面上の願意に就き更に諸局課と打ち合せ其代金が大藏省に縁故あれば又之を同省に掛合
ひ夫より命令を遞下して之を本人に賣り渡すか或は之を公賣するか此等の事情に隨て一挺
の鍬を處分するに政府と人民との其間に幾通の文書を徃復するやを知らず特に彼の種牛貸
下等の塲合には牛に人夫が附添ふて多少の日當を遣ひつゝ官民間に數回彷徨するが如き奇
談もあり勸業の志は兎も角も徒に事を繁くして得失相償はざるものと云ふ可し又農商務省
にては各種統計を編集するが爲め勞費を要すること莫大なれども試に其統計表を見れば全
國の柿の數が何程ありて鰯の數が何疋あり或は三尺以上の瀧が何千何百條ありなど之を調
査するに勞費を要して其結果の左まで實用に益なきもの多く然も平常實業上に於て最も重
要なる統計類は却て漠然に附するものなきに非ず要するに農商務省の事務は徒に繁冗紛雜
を極めて功益の之れに伴ふもの少なく而して其繁冗紛雜を極めて功益の之れに伴ふもの少
なく而して其繁冗紛雜は單に其一省内に止まらず地方廳到る處の勸業課は何れも其訓令に
從ひ「ソレも調べろコレも勸めろ」云々とて柿の數取り、鰯の詮議、或は種牛の貸下など
種々雜多の用向に人と金とを要すること决して少からざる可し其他林政等の細情に渉れば
手落ちもあらん弊害もあらんと雖ども之を細論するは他日に讓り兎に角既往十年間に徴す
れば農商務省の政蹟は徒に多くの勞費を要し時々新奇の方案を出して商業上の秩序を動し
又何事にも干渉して實業社會の獨立を妨げたるの姿あるが故に今日にして大に其方針を改
めんとせば則ち止む若しも然らず今後も相替らず既往の成行に從はんとならば我輩は最早
農商務省の必要を感ぜず此際斷然之を廢するに若かずと信じて疑はざるものなり(未完)