「民業保護の方法」
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時事新報に掲載された「民業保護の方法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
民業保護の方法
從來我が政府が民業に干渉して或は間接に法令を作り便宜を假し或は直接に資本を與へ富
國利民の策に汲々として其勉強は世人の耳目して驚く所なりしが如何なる故にや其結果は
毎に思はしからずして干渉保護も功能を奏し得ざるのみか往々意外の現象を發見すること
さへ珍しからざりしより近來に至りては保護と云へる文字を見て忽ち一種異樣の感覚を起
し概して之を非難し去り復た事の當否を尋ぬるに遑なきものゝ如し民業保護は本來に於て
果して左程に惡むべき者なる歟今夫れ一國の經濟を立てんとすれば農なり工なり商なり其
國の風土に應じ形勢に從ふて利益を進捗せんことを務め其利益を集めて以て着々富強を計
るべし農にして利益あらば農も可なり商にして利益あらば商も亦可なり唯利益を標準とし
て益々事業を進るこそ專一の要用なれ事業の性質によりては目前に損ありて永遠に利なる
ものあり私に失て公に得るものあり遠近公私を比較して果して永遠に利あり又公益となる
ものあらば如何にもして之を發達進歩せしめ以て一國全體の富を増殖するは蓋し國民たる
ものゝ任務と申すも亦可ならん假令へ何程極論の個人論者にもせよ又自由貿易論者にもせ
よ多少の奮發によりて發達し得べき富源に向ひ猶ほ自然に放任せよと云ふこと能はざるべ
し之を水田に喩ふるに一度堤防を修築すれば年々穀物を収穫して安穩なれども郡村のみに
ては兎角その費用に堪へざるより府縣會に訴へて地方税の補助を仰ぎ府縣會は遠近公私の
利害を比較して事情の許す限り補助を與ふるも漫に之を非難する者あらざる可し即ち府縣
會が偏に地方の利害に鑑み水田存廢の得失を瞑目沈思して單純に判斷を下すに由るものに
して其趣は各般の事業皆然らざるはなし事業にして果して保護の甲斐あるものならば國民
を代表する政府たるものは國の利益の爲めに經濟の許す限り之を保護するこそ當然なるべ
し民業保護は其性質に於て决して非難すべきに非ざれども今日に至るまで遂に世人を滿足
せしむること能はずして却て顰蹙を催ほさしむるに至りたるものは必竟當局者が種々樣々
の支障によりて其本然の明を蔽はれ保護を施すこと宜しきを得ざるに由るものならん民業
保護を非難するの聲は實に其目的に在らずして手段にあるを知るべし
當局者が民業の利害を判定したる從來の實迹に就ては我輩の怪訝に堪へざる意味合なきに
非ざりしかども特に之を細説するの要なきが故に唯その保護の主義は利害の最も覩易きも
のに限り聊かにても疑はしきものは一切否决すべしとして次に保護の方法は種類により概
言すること易からざれども強ひて之を一括すれば其資本に保護を與へずして其利益を補充
することとなし而して其恩澤を成るべく一般に被むらしむべしと云はんのみ從來の有樣に
ては恰も無中に有を求むるが如く資本を與へて業を興さしむる樣のことさへなきに非ざり
しことなれば軅て恩賜の資金を消費し盡せば事業も亦隨て廢絶し國財一朝にして空に歸す
るのみならず多數の實業者をして恩典の少數なるに失望せしめ其企業心を沮喪して百弊竝
び起るに至る現に士族授産金を始め其他何々の事業に特別などゝ稱して直接に資本を下附
したるものは今日に至り殆んど一も繁昌するものとてはなけれども之に反し利益補充の法
によりたる鐵道會社等の如きは日を追ひ隆盛に赴くこと事實に於て明かなり且又商賣社會
の盛衰損得は變化不定にして豫め損毛を覺悟せざる可らざるの常なれば資本を恩賜に仰ぐ
は最も危險なる次第にして若しも何等かの事變に遭ひ一朝莫大の損毛を被りて恩賜の資金
も殆んど其用を爲さゞる迄に減ずることもあらば會社は何を以て其運命を維持せんとする
か此時に當り政府は又も之を中絶せしむるに忍びずとて資金を補足するの止むを得ざるこ
ととなる可し隨て損あれば隨て之を補ひ際限ある可らざる其上に當業者とて必ずしも德義
の制裁に束縛せらるゝ者にあらざるが故に政府の監督ありと雖も計算を左右すること敢て
甚だ難きに非ず是れ皆政府が直接に資本に向て保護を與ふるの弊害危險にして右の筆法を
改めざるに於ては如何に國家の公益となるべき事業にても實効を奏す可きの期なくして保
護奬勵は偶々以て自然の發達を妨ぐるに足るべし何れの點より見ても民業の保護は利益補
充を以て頂上と定むるの外なかるべきなり(未完)