「衆議院議員撰擧の當日に一言」
このページについて
時事新報に掲載された「衆議院議員撰擧の當日に一言」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
本日は衆議院議員撰擧の當日なり兼ねて議員候補者として互に當撰を爭ひたる者が勝敗分け目の當日なり當日より前二三箇月間を回顧すれば全國各地方共に所謂候補熱に浮かされ候補者が自から戰塲に臨んで火花を散らすのみならず從屬周旋の人人も堅寨互に相對して味方の糾合に忙はしく韜略縱横虚虚實實、演説會を開き親睦會を催ほすは正面の手段、一樽の酒、一匹の布、衆の歡心を買はんとするは内幕の權謀、冷眼者流より之を見れば抱腹す可き事、顰蹙す可き〓甚だ多かりしが如くなれども是れは我國のみに限らず勝を求むる人情は何れの國も同樣にして西洋文明諸國にては特に其甚だしきを見る可し唯彼の議院政國にては政黨の由來年古くして其組織も十分に備はり自由黨又は保守黨など稱して國中二三の大政黨が倶樂部と云ひ黨〓所と云ひ地方地方に團體を作りて互に政治上の掛引を爲し議員撰擧の折などには候補者が銘銘名乘り出でて獨り競爭塲に立つに非ず團體中に相談を凝らして夫れ夫れ其候補者を指名し之を仰て撰擧塲に押寄するの手順なるが故に其撰擧爭は云はば候補者を指名したる何黨と何黨との爭にして候補者同士の爭に非ず左れば其撰擧人に向て訴ふる所も此候補者は何黨に屬して其黨の主義行實は云云なり迚一黨の言行を目當てに論議し候補者の一身上より云云する者甚だ少なく隨て私身攻撃の〓も餘り苦苦しきに至らず撰擧〓敗の榮辱は候補者一身に歸せずして其黨全體の分擔する所なれば揖譲の間に勝負を决して爰に君子の爭を終ることを得べし畢竟多年の習慣に於て此機轉の圓滑を致したる者にして之を從來經驗もなき我日本人に求むるは卵を見て晨をつくれと云ふの嫌なきに非ず立憲政治の初舞臺に於て我日本人の所作事に餘り苛酷の評を下すは好まざる所なれども我輩が今月今日議員當撰の日柄に當りて一言屹度日本人の注意を乞はんとする者は他に非ず今衆議院議員を三百名として一議員に就き平均三名つつの候補者ありとすれば議員たらんとして奔走したる者は全國中九百名に下らざる可し斯くて此候補者が其撰擧費用として今日までに費したる金は一名に就き千圓より二千圓位までの間にして假りに之を千五百圓と見れば九百人に積算して實に百三十五萬圓と爲る可し候補者其人の散財のみにて既に斯くの如くなれば之を推撰扶助せんとして四方に奔走したる多人數の勞費は中中莫大なることならん歐米諸國にては生計の度合も高きが故に之れと多少を比較すれば我議員撰擧費の如き固より言ふに足らざれども抑も日本の國と〓り士人政治の事を解して議員たらんなど云ふ者は智餘りありて錢足らず概して云へば清貧士族、生計に餘裕なき者なれば幸にして當〓すれば格別、不幸失敗したる者は〓を失ふて位地を得ず私に前途を〓〓して快快樂まざるの情は自から〓險ならざるを得ず西洋立憲政治國にても撰擧爭に失敗して當惑する者は多けれども多年習慣の致す所、その失敗を〓〓に見て我れも人も意に介せざるが故に所謂負け惜みの念も薄く撰擧の定まりたる日を以て〓〓〓に〓〓して毒氣を〓に〓むることなしと云ふ立憲政の下に居て〓〓を保たんとするには斯くある可き〓なれども事に慣ざる日本人は今日一回の失敗を以て恰も終生の遺憾と爲し互に不快の念を生ずるが如き間違はなかる可きや隨分穏ならざる事共なり聞く或る地方にては候補者の間に競爭の甚だしき互に其人の欠■（（「黒」の旧字体のれんがなし＋「占」）＋れんが）を詮議し彼れは撰擧人に斯く斯くの賄賂を配りたり誰れは資格上云云の不都合ありたりなど其事實證跡を穿鑿し置きて當撰〓訴訟の材料に供せんとする者もありとか云ふ是れも斯かる氣合を示して撰擧〓爭中敵に二の足を踏ましむる迄の〓略に止まり一旦勝敗の决したる以上は一笑互に〓回を期して男兒らしく既往を語らざるの决心ならんには夫れにて〓〓なしと雖ども競爭軋轢の熱氣甚だしく撰擧の後に至るまでも怒火の餘勢を收ること能はずして啻に候補者のみならず各各應援を爲したる者迄も其勝敗に因りて感情を惡くし撰擧の一事を界にして朋友親戚縁故の人が長く眦睚の怨を結び道路の修繕、寺社の建立、〓〓会〓に至るまで尋常社會の交際上に容易に纏まる可き相談も或は丸く纏まらざるが如き不折合を生ぜば社會の不幸實に此上なかる可し元來議員撰擧の競爭は勝つも大に〓るに足らず負けるも深く耻づるに及はず西洋諸國の事情を見るに古今の大政治家と稱せらるる人物にても〓〓三四回に及び却て大に志氣を〓ましたるの〓も少なからざれ〓〓〓一〓〓の撰擧に失敗したらば退て其智〓を〓〓徳〓を養ふて徐に第二第三の撰擧を待つ可きのみ又一般の撰擧人に於ては己れと同〓の人を〓して幸にして當撰すれば固より宜し或は其撰に〓るることあるも〓心に愧づることなし〓民として〓〓上に盡くす可きの〓務を盡くせば夫れより其本業に立ち返り政治〓外の交際には互に政治上の〓味方を忘れて議員撰擧の一事の爲めに日本國民に固有する篤厚和樂の天眞を損せざらんこと我輩の今日日本人に向て敢て勸告する所のものなり