「賞勳は國民に遍かる可し」
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本文
賞勳は國民に遍かる可し
人爲を以て國民の功勞に酬ゆるに種々の法あり賞品俸給を以てするは物を以て勞に代ゆる
の手段にして誠に尋常なる者なれども此外所謂人爵と稱して爵位勳等を授くるものあり勳
等位階は其人に屬して人と共に消滅すれども爵は之を子孫に傳へて先祖の功名を系圖に繋
ぎ尋常凡俗人にても生れて有爵者の相續人と爲れば己れ其爵を姓名に冠して社會に押出す
ことを得べし學者流の眼を以て見れば人間の事業は千差萬別、時に利不利あり勢に順逆あ
り之れに處して其力を試むる者、成敗を以て功勞を論ず可らず滔々たる流俗の月旦評、何
を褒し又何を貶するや此社會の人々が何爵と云ひ何位と云ひ若くは何等勳と云ふも人の實
價を輕重するに足らず誠に小兒の戯にして唯一笑に附し去る可しと雖ども學者は學者、凡
俗は凡俗、この凡俗世界に於て偏に人爵の高きを好み例ば先年政府にて海防費獻納を諭達
するに際し其獻金の多少に應じ夫れ夫れ敍位の差ある可しとて内意の所在を示したるに世
間金滿家の其中には偏に此人爵に埀涎して金を獻じたる者もあり若し此敍位の沙汰なくし
て獻金を一片の愛國心に訴へたらんには其額或は三分一にも減じたるならんなど云ふもの
あり固より漠然たる世評なれども世上一般の凡俗心に於て斯くまで人爵を珍重する以上は
是れ亦社會に欠く可らざるの道具にして之を利用するこそ智者の事なれ今西洋王政國の有
樣を見るに朝廷は國民を一視して政治實業文學等その職業に區別を立てず廟廊の高きに上
るも江湖の廣きに居るも一切出處を論せずして國に致したる功勞あれば其功勞を表彰する
に彼の爵位勳等を以てし人爵を官吏の專有物として之を社會一部分の人に限らざるが故に
其人心を振勵し世道を維持するの成蹟に於て功驗の頗る大なるを見る可し特に彼の勳等勳
章の分配に就ては國家的の大活眼を以て成る可く一般に遍ねからんことを期し例へば佛蘭
西國の如き民間に高勳等大綬章を有するもの多く病犬治療に有名なる大醫パスチユア氏の
如き大統領にも讓らざる程の大勳章を帶び醫を以て糊口する一布衣が高堂盛〓の席に於て
政府諸大臣の上流に着坐するなどの事例は珍らしからず即ち賞勳國民に遍ねく國に盡した
る功勞は官たり民たるを以て輕重なく之を表彰するに相當の勳等を以てするが故に國民一
般の氣風に於て其勳等を重んずること甚だしく勳章を胸間に掛けたる者が社會公衆の爲め
に重んぜらるゝ其趣は日本人などの想像にも浮ばざるものあるが如し昨年五月巴里大博覽
會開塲式の折なりとか田中全權公使には夫人同伴式塲に臨んで扨て歸途に就かんとするに
街道一望人壁を築きて馬車を通ず可きに非ず徒歩次第に人を排して愈々進むに隨て愈々重
圍に陥り進退身動きも叶はずして殆んど當惑する其處に誰れやらん公使の胸間に勳章の印
あるを認めて勳章勳章と叫びながら群衆を排して難なく通行せしめたりと云ふ勳章の彼の
社會に重んぜらるゝの一端として見る可し畢竟勳等勳章の社會一部分に偏せずして廟廊江
湖唯その功勞の著しき處に赫々たるが故に一般の人民も其價を知りて之を敬重するものな
らん斯くありてこそ勳等勳章も其功用を大にして人心を勵まし世道を正すの具となるべけ
れ然るに我日本國にては政治社會のみ〓〔ルビやつ・手偏+ノ+友〕群にして其他の社會
には榮譽なく彼の勳等勳章の如きも政府官吏の專有物たるが如き觀あるが故に世間一般の
眼に映じて何等勳も何勳章も光明赫灼羨む可きを見ず隨て其功用を大區域に普及すること
能はざるものなる可し蓋し西洋王政國にては王室を以て榮譽の源泉と爲し其潤澤を一般に
及ぼすこと時雨の化の如く政治文學商工業等その職業は樣々なれども國に致したる功勞に
應じて榮譽に厚薄を立つることなく王室一視偏なく黨なく率土の萬物を遍照するは人の能
く知る所なり然るに我日本は所謂政治國にして政府の外に人物なきが如く政事の外に仕事
なきが如く特に近日などは或は政黨の運動と云ひ或は議員の撰擧と云ひ政治の議論のみ國
中を動して其政治の大本たる實業振作の方法に至りては漠然として掛念するものなし我輩
は漫に政治論の喧しきを厭ふものに非ざれども今磊落に説を爲せば高の知れたる八千萬圓
の國税、國會が如何に指圖するも新政治家が如何に料理するも仕事は金に相應して左まで
面目を改む可しとも思はれず左れば實業を振起して大に國の富源を開き隨て政府の収入を
増して八千萬圓を二倍し若くは三倍し以て文明日新の事業に勇むこそ肝要なれ即ち實業を
振作するは今の日本の急務なれども事を奬勵せんと欲せば之れに榮譽を附せざる可らず其
榮譽を附するに就ては種々の方法もあらんと雖ども彼の勳等勳章の如き既に名譽を表彰す
るの具なりとすれば實業上の功勞者を待つに成る可く優禮を以して政治家と同樣に之れに
勳等勳章等を給與するの道を開くは實に彼の實業を奬勵するの一方便にして一には賞勳を
國民に普及し一には實業に榮譽を加へて勳等勳章の功用も爰に始めて大なる可きなり我輩
の常に希望する所のものなり