「博覽會賣殘品の始末」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「博覽會賣殘品の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

博覽會賣殘品の始末

第三回勸業博覽會閉塲の期限も最早近日に在り聞く所に據れば今回の出品は前回に比し非

常の多數にて惣計十九萬餘點に上り其價格は七十萬圓餘なれども今日まで約定濟となりた

るものは其三分の一に過ぎずと云ふ尤も從來の例として閉塲の間際に至れば府下の商賣人

等に相應の買手ありて賣行も大に宜しき由なれども今日の有樣にては今後如何程多くの買

手あるも十九萬點七十萬圓の品を數日間に賣り悉す可きに非ずして閉塲の後に至り多少の

賣殘品を見るは必然の數なり扨この殘品の始末は如何す可きやと云ふに出品の規則に據り

銘々各府縣に持還る可きは勿論なれども多年の精力を凝らしたる製造品を公衆の覽に供し

ながら賣殘るたりとて遙々持還るも出品者の面目をと云ふ可らざるのみならず其運送の費

用は全く自辨ならざるにもせよ品物に據りては遠路運搬の際に損傷も圖り難し商賣上の不

利この上ある可らず左れば其始末方に付ては當局者にも種々の評議あるよしにて近來聞く

所に據れば富籤の法にて廣く世に其籤を賣り當籤者には右の賣殘品を與ふる事になしては

如何との議もありと云ふ其方法の詳細は未だ聞くことを得ざる所なれども殘品の始末を富

籤に付するの工風に至りては我輩の大に賛成する所なり盖し富籤の事は敢て今回の新案に

あらず西洋諸國にては廣く行はるゝ所にして博覽會の殘品などは此法に據りて賣捌くの例

少なからざる事なれども近來我國の氣風にては富籤を博奕同樣に心得て只管これを忌み嫌

ふ者なきにあらず畢竟商賣の活世界を知らざる儒者士族流の老論にして之に耳を傾るに足

らず例へば明治政府が純然たる士流政府にして博奕の勝負を禁ずるは勿論、凡そ富籤と云

ひ無盡講と云ひ金錢の事に付き其得失運不運を抽籤に附するが如き最も忌む所なれども實

際の要用に迫るときは自から變通を要する事と見え交際證書の元金返濟法をば籤の運不運

に任したり全體政府に於て籤は一切禁句とならば二十五年間に償却する公債證書は毎年其

所有者に二十五分の一づゝ元金を還して可なり今日なればこそ公債の價高くして常籤に利

害少なけれども數年前七分利の公債を賣りて僅に七十圓なりしときにも籤に當れば百圓を

得て正しく三十圓の富籤を買當てたるものに異ならず金錢の勝負事にあらずして何ぞや政

府の法律に於て斯る勝負を公にして社會に厘毫の弊害なしとすれば僅々たる博覽會の殘品

を富籤にして何事かある可きや唯是れ商賣一時の祭〓として看過す可きのみ德川政府の時

にも富籤を禁したるは水野越前守が執権の時なりと云ふ然るに水野前の社會も水野後の社

會も依然たる日本國にして之を禁したるが爲めに曾て利したる者あるを聞かず天下の政を

爲す者は天下の大勢を視る可し局部の利弊に眼を掩はれて之を好み之を忌み其忌むや清僧

の魚肉に於けるが如くなるは我輩の取らざる所なり