「構造的政事」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「構造的政事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

構造的政事

秩序定まりたる文明國の政事は總べて構造的に進まざる可らず我日本國にても今は專ら構

造的政事を講せざる可らざれども凡そ事物を構造するには智慮周密十分經營の意匠を要す

ることにして其事甚だ面倒なるが故に世間滔々心を此點に傾けずして徒に粗大破壞的の論

を旨とする者多し誠に痛嘆堪へざるなり試に今の政論家を見るに政機運用上實際の方案を

語らずして所謂高等政事を論議し其の論の筋道を吟味すれば斯く斯くの事は云々に爲せば

可なりとは云はず云々の事は斯く斯くなるが故に非なりとのみ論じ去り毎度小言の言ひ放

しにして一口に罵り倒せども之を倒したる儘、如何にして之を起すやを示さず例へば條約

改正論の如き愈々改正を實行したらば我海關税に關して如何の利害ある可きや又内地雜居

に因りて我社會財務上に如何の得失ある可きや凡そ此邊の問題は漫然之を度外視して憲法

との關係は云々など先づ以て高等政治論に走り扨て當局者の改正案を罵り倒して己れ代り

て其局に當らば如何に其談判を進めて滿足なる改正を實行することを得べきや細かに善後

の方案を構造して明に事の理と物の數とを示したるものあるを見ず近時政論家の論勢は毎

事之れに類するもの多く他人の構造したる筋書を見て由良之助は此處に出づ可らず勘平の

切腹は早過ぎたりなど無責任の打毀し論を唱ふれども然らば此趣向を斯く變じて其脚色を

如何す可しとて之れに代ふるの立案を抱くものなきは構造的政事家を要するの今日、國の

爲めに誠に惜む可き事共なり或は今の政府部内の人は實際政務の局に當りて身に責任もあ

れば自から構造的の意味を解すること民間政論家の比に非ず現に近來我政府が法律規則を

連發して殆んど虚日なきが如き一見構造の趣あるに似たれども凡そ構造とは有る組織(オ

ルガニゼーション)を打ち毀して無き新奇物を導き之を支配する條例を新調するの謂れの

みに非ず例ば租税徴収法の如き取引相塲所法の如き若くは山林監督法の如き古來日本國に

於て夫れ夫れ其組織ありしことにして漫に之を破壞し去り風俗人情の異なる外國の規則を

翻譯して其儘我國に適施せんとするは畢竟構造の思想に乏しきものにして其結果たる毎度

實業家を窘しめ徒に舊組織を破壞するのみならず求めて不經濟に陥ることなきに非ず蓋し

多年有り來りの組織は外形より見て無用なるが如きも實地國状に適應して何處にか有用の

點あるが故に自から永傳する者にして眞實構造的の考あらん者は其有用の點を見分けて之

を方寸の中に藏め置き更に現今の要點を察して之れに應ずるの新仕組を調和し新舊相倚り

て程能く時の急須に應ずるの機轉こそ願はしけれども政府部内の人々も案外この邊の機轉

に乏しく時にブールス條例の如きものを發して其構造的思想の貧なるを示すが如き我輩の

遺憾とする所なり又構造を旨とする者は毎事始終を豫想して其成功の全きを期し苟くも姑

息策を執る可らざること勿論なれども近時政府の行事を見れば窃に釋然たるを得ざるもの

あり例へば會計法を一年限りにして其豫算を製するは固より異論なけれども一官舎を建築

するに時限次年に渉るときは先づ其今年分丈けを算して殘りは之を次年に廻はし其議决の

結果に因りて之を繼續するの趣向なるが如きは利害果して如何なる可きや歳計豫算額を増

すことを恐れて一官舎建築費の半額丈けを取極め假りに全費を五十萬圓として既に工事に

着手したる翌年國會議院などの評議が變りて殘りの半額を半減する等の事情あらば前後の

設計全く齟齬して狗尾續貂の彌縫策に出で既に入れたる金を殺して其働を空にするの憾な

きを得ず即ち此種の連續したる事業は前以て全體の費額を議定し後日之を動かずして其全

功を求むること構造的思想家の所爲なる可きに一時の姑息策を弄して事業の性質を曖昧に

し從來全國各地方にて地方税に成りたる病院學校其他比類の公共事業を縣會議員の出來心

に任して去年は廢し今年は興し又來年は再廢する等その興廢存滅の間に肝心なる事業は擧

らずして徒に經濟法を紊したるものと同年の成跡を得んとするは所謂構造的政事なる可き

や如何、我輩の所見を以てするに凡そ我國人の習癖として漫然たる高等政治論を悦び精密

なる構造的の考を以て社會諸組織の改良法を立つることを好まざるは政府部内の人々も又

民間の政論家も大抵似たり寄たりにして人事の進み行く今の世界に長く此習癖を存したら

んには國家を以て無責任なる政論の試驗物と爲し利害得失を偶中に任じて國の政事經濟上

に時々大疵を生ずるに至る可しと窃に掛念する所なり即ち國會開設に際する我國今日の大

急務は官民共に政事を語るに常に構造的の流儀を以て社會組織の本末を審かにして胸中自

から成竹を畫き弊害を論ずれば必ず其療治法を示し自説を成して然る後に他説を難し徒に

批評的破壞的に馳せて小言の言ひ放しを爲さゞるやう共に心を用ふるに在るのみ放膽粗豪

國事を語るは文明國人の事に非ず我輩の取らざる所なり