「勅撰貴族院議員」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「勅撰貴族院議員」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

勅撰貴族院議員

貴族院議員は曩に各府縣下に於ける多額納税者の互撰にて四十五名を出し又伯子男三爵の

撰擧にて百五名を出したれば今後國家に勳勞あり又は學識ある者の中より勅任の事終れば

貴族院議員の總數は茲(玄+玄)に全きを告ぐるものなり貴族院令に據るに同院は皇族、

公侯爵、伯子男爵中より撰擧せられたる者、國家に勳勞あり又は學識あるものより勅任せ

られたる者、各府縣の多額納税者より互撰せられたる者より組織するものなれども勳勞又

は學識ある者及び多額納税者より出でたる議員は有爵議員の數に超過する事を得ずとの箇

條あるが故に其人員を差引すれば今後勅撰せらる可き議員の數は九十餘の定員にして即ち

所謂勅撰議員なり勅撰とあれば其撰任は固より至尊の御意に在ることにして臣民たるも

のゝ敢て云々す可き所にあらざれども其身は特に聖明の卓援を辱うし一たび其任に就くと

きは其職を終身にし殊に勳勞学識の光を有する者にして其地位自ら他の議員と違ひ隱然院

中の重きを成すものなれば撰任の一事は最も鄭重ならざる可らず然るに近來世間の所説を

聞くに今の内閣大臣にして伯子男爵の撰擧に漏れたるものは悉皆勅任せらる可しと云ひ又

元老院廢止の時至れば今の議官の過半は入て貴族院の椅子を占む可しなど院の開設早々直

に九十餘の席を充さしむるが如くに云ふものあれども我輩の私見を以てすれば勅任の趣意

は強ち此の如き意味ならざる可しと思はるゝ其次第を述べんに抑も國家に勳勞ありと云ふ

其所謂國家の勳勞なるものは决して容易の事にあらず今の大臣の地位に在る人々は今の政

府に對して政治上には何れも多少の功勞あることならんなれども經世家の眼より見て眞實

國家に勳勞ありと認む可きものは指を屈する程なりと云はざるを得ず元老院の議官とても

之と同様の次第にして流石に多年政治の經驗には乏しからざる事ならんなれども多年經驗

の故のみを以て國家に勳勞あるものと認む可らず况や學識の一事に至りては政治上の經歴

と全く縁の無きものなれば今の政治の當局者を以て勳勞學識の資格を有す可き勅任議員に

擬するものは之を目するに僭越を以てせざるを得ず然らば則ち其撰任の方案は如何と云ふ

に今の當局者中にも眞實國家に勳勞あるものもあり又は學識に富めるものも少なからざれ

ば是等の人々は勿論其任に當りて差支なきことなれども眞實の勳勞學識ある者は政府部内

は申す迄もなく廣く之を日本全國中に求むるも其人を得ることは中々容易ならざるのみな

らず一度び撰任せられたるものは終身其職に在ることなれば若しも一時に九十餘の席を充

し一の空位もあらざるに於ては他年一日其人を得るに當りて後悔の虞もなきにあらざれば

目下の處は強ひて其席を充すことを求めず多少の空位を設けて以て未來の人を待つも可な

らんか人或は説をなして此の如くなるときは貴族院議員の人數に不足を生じ衆議院に對し

て權衡を失するに至らんなど云ふものあれども决して憂ふるに足らず兩院相對して其組織

權限の外に互に重きを成すものは單に議員の數の多少に在らずして却て其院内に重きを成

す議員の數の多少に在り而して貴族院内に重きを成すものは他人にあらず即ち勅任議員の

人々に在ること事實疑ふ可きにあらざれば此一點より見るも其撰任を一時に急がず多少の

空位を設けて未來の人物を待つは取も直さず貴族院の體面を保つ所以にして所謂勅任の精

神も亦この邊に存在する事ならんと我輩の窃に忖度する所なり