「内國勸業博覽會出品の始末」
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時事新報に掲載された「内國勸業博覽會出品の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内國勸業博覽會出品の始末
第三回内國勸業博覽會は本年四月を以て始まり當七月を以て閉會するの豫定にして此開塲
四箇月間は日本國中津々浦々の人々も鐵道汽船交通の便を利用して花の東京に群集し廣き
博覽會塲も日々人の山を築くことならんと我れも人も共に盛事を想望したりしに開塲期限
に差掛りて都鄙金融必迫の談あり繼て麥作も不出來にして養蠶も餘り上首尾ならず米價は
非常に騰貴して南京米の輸入を仰ぎ貧民救助説所在に喧しきに加へて國中一般衆議院議員
撰擧の事あり之が爲めに奔走して餘念なき者も多かりし等にて博覽會の見物人は豫期の如
くに多からず會の爲めには氣の毒なれども時勢は如何ともす可らず唯我輩の希望する所は
我博覽會事務官が斯る事情あるに因りて特に出品人の便宜を謀り閉會の際賣殘品を處分す
るにも成る可く其失望を生ぜざらしむるの一事是れなり抑も今年の博覽會は彼の第一國會
と恰も一幅對として明治二十三年の紀念と爲さんとするの趣向なれば博覽會事務官が成る
可く其出品を多くせんとするの意向は各地到る所の勸業課に傳はり勸業課にては其縣下よ
り成る可く多く出品せしめんと自然競爭の姿を呈して其出品奬勵の行屆きたるは從前比類
なき所なりと云ふ左れば律義なる實業家などは勸業課に催促さるゝが儘、無理算段に出品
を整へて之を陳列したるものさへありと云ふ斯くて本會も今月末を以て閉塲と决して此間
賣買約定濟と爲りたる者は仕合なれども不幸にして賣れ殘りたる者は常例通り之を出品人
に返戻す可きや如何、金高の品物を陳列して前四箇月間之れを寢せ置き幾十萬人の眼に觸
れて所謂店曝しと爲りたる者を此不景氣の時節柄、其儘手許に返されては誰れか當惑せざ
るものあらんや美術工藝を示さんとて念入りに作りたる品物は俄かに人に賣らんとするも
容易に相手を得べからず博覽會の景氣に浮かれて佳品逸物を製作し一個の賞牌褒状を得て
一寸鼻を高くしたる祟りにて寶の持ち腐りを爲さゞるべからざるの仕合にては今後内外の
博覽會に向て政府が出品を促すに當り彼等は今日の失計に懲りて大に其出品心を沮喪する
や必せり即ち博覽會事務官は後來我工藝の爲めに謀り今回博覽會賣殘品を始末するに特別
の處分法を講せざる可らざること勿論にして我輩の所見を以てすれば斯る塲合に彼の富籤
法こそ屈強の者なれ之を利用して一時に彼の賣殘品を處分するは臨機の措置として最も有
効なる可しと思ふ者なり即ち今彼の賣殘品を評價して假に總計二十萬圓ありとすれあ二十
萬枚の富札を作りて一枚一圓に賣り出し一二三四と當籤の順番に因りて其賞品の高下を立
つること勿論なれども成る可く其當籤札の數を多くし全數四分の一即ち五萬個位までは多
少の賞品を得せしむることと爲さば得失の波瀾も平均して人情を害するの恐れなく又出品
人の方より云へば自費を以て賣殘品を引き取り斯る不景氣勝ちの折柄、其始末に當惑する
に引き替へ博覽會塲にて其儘品を金に換ふることを得るが故に價は評價人の公評に任じて
別に異議ある可しとも思はれず即ち富籤法を以て博覽會賣殘品を處分するは幾多出品人の
失望を防き後來其出品に奮發せしむるの一策にして斯る塲相に富籤法を利用するは社會人
情を害せざるのみならず因て以て我工藝奬勵の實効を擧ぐることを得べし聞く所に據れば
我博覽會事務官中にも此邊の考を抱く者ある由なれども富籤法を採用するは實際如何ある
可きやとて之れを擯斥する論者もあり目下默考中の姿なりと云へど彼の事務官等は博覽會
の如き臨時特別の事務を處辨するに何を苦んで獨り富籤法を用ふるに怯なるや西洋諸國に
は毎度其例を聞くことなれども我國は格別の者として官邊の人が自から手を下すを好まざ
れば民間に相應の用達人を得て一切之れに任ずるも可ならん兎に角に當初その出品を奬勵
しながら最後其始末に就き十分の力を盡さゞるは事に始終あるものと云ふ可らず若しも本
年の如き年柄に當りて賣殘品を出品者に戻し當惑骨隨に徹せしむることもあらば今後博覽
會の擧ありて何程出品を催促するも美術品の名品を製作して之を陳列するものを絶つに至
る可し特に來る明治二十五年には米國に萬國大博覽會あり我國にては國交上並に商賣上に
於て大に之れに出品せざる可らざるが故に我博覽會事務官も今より前述の事を思ふて今日
彼の賣殘品を處分するに其出品者の失望を來らゞるやう臨機の覺悟あらんこと我輩の切に
希望する所なり