「コロムブス萬國大博覽會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「コロムブス萬國大博覽會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

コロムブス萬國大博覽會

明治二十六年即ち西暦千八百九十三年はコロムブス亞米利加發見四百年期に相當するを以

て米國人は萬國博覽會をシカゴ府に開きて其紀念を表せんとするの計畫ありと云ふ我日本

國にては國交上並に商賣上に於て米國と縁故の深きこと他に其比を見ざるが故に官民共に

心を盡して今より豫め其準備を講すること最も必要なる可し抑も國交上に於て日米兩國の

懇親は今更喋々するを要せず其商賣上に於ては實に我得意塲にして生絲、茶等の物産は勿

論、我美術工藝品にして年々米國へ輸出するもの其額决して少しと爲さず蓋し歐洲文明國

は美術の傳來自から素あり其各都府の美術館に入り又その寺院宮闕を歴觀すれば繪畫、彫

刻、装飾織物或は希臘の古物を存し或は羅馬の舊風を逐ひ好古の心ある者は何れも之れに

親炙して其妙を解し其味を愛し之を珍重すること年久しければ今日本の美術品を見て之れ

に敬服する中にも歐洲工藝的の眼を以て之を取捨折衷するのみならず彼等は何れも餘裕あ

りて專心工風を怠らず他の妙所を見るときは換骨脱體引て其圏套に入れんとするが故に我

日本の美術品を歐洲博覽會などに出品すれば徒に其意匠を窃まれて却て後の得意客を得ず

日本は美術に秀でたり云々の虚名を博するのみにして商賣上より云ふときは半文錢の報酬

をも得ざるの塲合なきに非ず之を稱して得策と云ふ可らざれども米國の如きは則ち然らず

建國年新しくして事多く人少く人々金錢に忙しきに加へて此人々は多くは歐洲下流社會よ

り流れ出でたる移住民なれば美術工藝等に就ては初めより何の嗜みもなく金の次第に溜る

に隨ひ衣服、飲食、裝飾諸器具、次第に華美なるを好むと雖ども先入の主と爲るものなき

が故に眼中希臘なく羅馬なく唯目新らしきを悦んで之を需要せんとする折柄、日本美術品

の雅致に富み其意匠の新奇にして變化の限りなきを見て之を愛玩するの念を生じ扨てこそ

米國各地にて今日我美術品の流行を致したるなれ而して特に此流行を促したるは先年米國

費府に於て萬國大博覽會を開きたる時我國より之れに出品して當時大に好評判を得たるこ

と是れなり〓して此大博覽會後は華盛頓、紐育、ボストン、ボルチモア等を始め米國東部

海岸に於ける先開繁盛の諸都府にて大に日本品の需要を増し之を一種の時好として衣服裝

飾、家具、器皿總て其意匠を導きたるは米國人の家内に入りて一見直に之を知ることを得

べし然るに米國東部地方は年々その人口を増し勞力に餘剰を生ずるに隨ひ其勞力を用ふる

所も益々微細に入り來りて從來他國の製品を買ひたるものが今は自から之を模造し若くは

更に工風を加へて内に自から之を製作するの道を開き今後此地方に於て我工藝品の需要を

增すは甚だ六ケしかる可しと雖どもシカゴ以西桑港港に至るまでは何れも新開必盛の地に

して沃野千里遺利は手に唾して拾ふべく富源は臂を伸べて拓くべく事多く人少なくして

人々金儲に忙はしきが故に彼の美術裝飾品の如き總べて他の供給を仰ぎて自から之を製作

せず素封家所在に掘起するに隨ひ俄か大盡の癖として互に其豪奢を競ふは是れ亦自然の勢

にして彼等が博覽會などの媒介に因り一朝日本品を愛翫するの端を開きたらば其購買力の

強大なること殆んど測り知る可らず天晴れ日本の得意客として我工藝品の貿易上に一大刺

激を與ふることならん然るに明治二十六年シカゴ府にて萬國大博覽會を開かんとするは我

國に取りて無上の仕合、この機决して空うす可らず凡そ美術工藝品は旦夕にして製す可ら

ざるもの多く佳品逸物十分丹精を籠めんとするには二三年の歳月を要す可きが故に我政府

は近々第三回内國勸業博覽會の閉塲と共に夫れ夫れ出品者に向て明後年米國博覽會に出品

するの利害を示し今より十分の用意あらんこと工藝奬勵に熱心なる我博覽會事務官の當に

勉むべき所ならん將た又出品奬勵に就き當局者の須く注意すべきものは其出品の趣向をし

て直に商賣主義に據らしめ此主義を實行するに毫も差支なからしむること是れなり昨年中

我國より園藝花卉を巴里博覽會に陳列したる者が來觀人の隨意にて茶代を置き去るものあ

らば之を受けて可なるやと我出張事務官に問ひ合せたるに茶代など取りては國辱なりとて

之を差止めたりと云へど園藝術其他家居衣服舞踏音樂等の如き我諸工藝を示さんとするに

商賣的の考を離れて好事家の奮發心のみに任ずるときは人の資力に限りありて事の完全を

期す可らず寧ろ商賣流に事を起して彼の錢を取りながら成る可く規模を大にして彼等の滿

足を得るに若かず錢に當りて臆病なるは我日本人の習癖なれども米國の如き商賣國に至り

て餘り律義に遠慮して其肝心なる出品に不十分なる廉ありては二重の損失を蒙るのみなら

ず偶々彼れ商賣國人の一笑を買ふ可きのみ我輩は明治二十六年の米國大博覽會に我出品の

盛んならんことを祈りて今より當局者の熟考を乞ふものなり