「芝居も亦談ず可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「芝居も亦談ず可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

芝居も亦談ず可し

人間社會は地質時代に異なり火の時代には火ばかり水の時代には水ばかりにして天下唯一

色に片寄る可らず然るに近來日本社會は殆んど政治一色にして文學宗教商工等の談は俗に

所謂お茶を挽きて之れに耳を傾くるものなく政治の外に人事の談ず可きものなきが如き有

樣あるはサテサテ窮屈なる事共ならずや斯る窮屈なる政治談の中に獨り其語頭を轉じて芝

居の事など談じたらば世人は我輩を變調者視して竊に驚惑することならんと雖ども芝居も

人事中の一要具にして其優美温雅なるを以て人心を和ぐ可く其高尚活溌なるは以て志氣を

勵す可く完全愉快なる想像的の芝居は不愉快不完全なる政治的の活劇と正しく相映照して

澆季の薄俗を戒むるに足れり且つ此政治一色の社會に我時事新報社に於て今度芝居の評な

どを募りて文藝上より技術上より世人と共に之を樂まんと欲するは孔明琴を軍門に彈ずる

の故智を學ぶものに非ず人事の多岐多難なる一方に凝りて他を忘るゝことなからんが爲め

政治論の騒々しき中にも政治以外の事に就き十分その發達を謀りて共々に人文の進歩を致

すこと甚だ肝要なりと信じたるが故なり斯くて芝居を談ずるに當りて我日本固有の芝居と

西洋風の演劇とは長短優劣如何なる可きやと此最も普通なる疑題は忽ち我輩の念頭に生ず

れども我輩は一言之に答へて西洋演劇は西洋流の油畫の如く日本芝居は日本畫の如し其用

意異にして其趣味亦同じからず到底之を一にして其長短を論ず可らずと云はんのみ其然る

所以に就ては自から長説明を要す可ければ今暫く之を擱き我輩が今芝居に對して敢て其繁

盛を期せんとするは第一此芝居に因りて日本固有の音樂繪畫文藝歌舞等を發育し兼ねて古

士風舊人情を示して内の風教を維持すると次に我日本芝居を日本名物の隨一とし追々來遊

する諸外國人をして樂んで其技術を賞翫せしむると此二樣の希望あるが故なり抑も彼の芝

居の人情に感じて風敎上に大關係あるは今更我輩の多言を要せず英國第一流の俳優ヘンリ

ー アーウヰン氏(倫敦の新富座とも云ふ可きライセアム座の座主にして好んでシヱーク

スピヤの時代物を演し又學識も衆に勝れ倫敦交際社會にては一個の紳士として人に交り女

皇陛下の〓〓に於ても毎度その顔を見ることありと云ふ)の言に芝居は美妙の技藝なり感

情を動し思想を養ひ風儀を正し世道文明を裨益すること測り知る可らず特に快樂の宣教師

として日常勤苦疲勞の中より人心の生氣を蘇回するの德は推して文明國人の多數に及ぼす

ことを得べく人物形像を目前に示して想像を實にするが故に衆情を感化して高尚の域に進

ましむるに最も有効有力なり云々とありしが此の言决して溢美に非ず特に西洋諸國にて芝

居を珍重するものは中以上の社會に多きに引き替へ我日本國にては中以下の人々にて之を

好む者割合に多く聞く所に據るに東京府下の芝居座にて少しく入りの多きものは一箇月ば

かりの興行中に凡そ五六萬の見物人あり其大入りの塲合には時として七萬に上ることあり

と云ふ左れば府下十數個の芝居座にて一年中の興行に泣笑悲歡或は怒り或は喜び自然に感

化さるゝ者は果して幾百萬人なるや殆んど知る可らざる程の數ならん役者の衣紋髪飾は婦

女子社會流行の源となり其動作進退は移りて家庭の話柄と爲りて影響する所甚だ淺からず

若しも我文藝社會に於て意中に名教風致の重きを含み之を飾るに妙文を以てして梨園の技

術に訴へて人心を皷舞奬勵するものあらんには其功益の大なること果して如何ぞや我輩の

窃に企望する所なり又歴史上の眼を以て日本古代の衣冠武器その他宮殿装飾より日常諸器

具に至るまで仔細に考證穿鑿すれば東洋美術の傳來を知り文明の消長をも詳にすることを

得べしと雖ども廣く之を世間に示して當時を想像せしむるには芝居の舞臺に實物を飾りて

衆の視力に訴ふるに若かず特に風尚氣習等一代の德義を表するものは形を以て傳はらざる

が故に賤のをだ巻繰り返して昔を今に再現するものは唯一の芝居あるのみ本朝王代の縉紳

淑女が其才藝の殊絶なる其氣品の温藉なるは野卑の陋俗を戒むるに足れり源平以下代々戰

國の軍人が能く其事ふる所に盡して君辱めらるれば臣死すの古訓を履行したるは澆季の薄

情を矯むるに足れり下りて德川の時代と爲りても士氣の凛然たる所に至ればますら健男の

本色を留めて刀鋸鼎〓(かく・金偏に獲のつくり)その節を變せず君の大事に當りては腹

十文字に掻き切りて毫も自から悔ることなく戰塲に其元を失ふとも敵に其背を見せて家門

の名聲を墜さゞる等、流石に敷嶋の大和心は朝日に香ふ山櫻花と見劣りのせぬ美事さ立派

さ天晴れ士族風として一國の元氣を維持したるを見る可し今や世事の進歩に連れて澆風薄

俗次第に瀰漫し士風の益々下るに關せず社會何れの部分に於ても凛然たる古士族風を養は

ずして日々その消磨し去るに任ずるは國家元氣の消長に關して窃に痛惜に堪へざる所なる

に然るに爰に芝居なるものあり凛然たる賢士節女義侠忠僕等をして時代時代の服装を着け

て今の社會に活現し日々數萬人に面して眼前其所作を示すことを得べしとすれば歴史上よ

り風教上より芝居の社會に有効なること固より言を待たざるなり我輩が世人に芝居改良論

ある毎に漫に西洋風の新思想を導くことを好まず日本近古の風尚氣習を活現して美術的に

其脚色を工風する中にも目から名教の重きを忘れざらんことを所望するは其微意の陰然此

邊に存するを見る可きなり(未完)