「芝居も亦談ず可し (昨日の續)」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「芝居も亦談ず可し (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我日本芝居を日本名物の隨一とし追追來遊する諸外國人をして樂んで其技術を賞翫せしめんとするは我輩本來の希望なりと申すは他に非ず日本は東洋の一隅に在りて歐洲外交政略の抑揚を感ぜず我れ之を感ぜざれば彼れ亦殆んど無感覺にして日本の如何なる外交家が如何なる奇策を回らすも之を以て西洋諸國人と感ぜしむるに足らず從來歐米諸國にて日本の國名の人に知られて相當の敬禮を受けたるが如き日本の政治が進歩して憲法發布、國會開設の運びに至りたるが爲めに非ず又日本の陸海軍が強盛勇烈彼の國人を震懾せしめたるが爲めにも非ず日本は東洋の美術國にして山水秀麗の氣の鬱蟠■(いしへん+「旁」)■(いしへん+「薄」)する所、技術工藝の士に向て一種言ふべからざるの妙想を賦與し繪■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)彫刻、陶漆諸器、家屋庭園、服飾歌舞、文采雅致を究極して伊太利、佛蘭西の妙工にても企て及ぶ可らざる所ありて隨て其美術の評判も高く家家之を珍藏して細に其意匠を翫味するに隨ひ斯る妙想、斯る氣韻、又斯る工藝は尋常一樣半開國民の兼備す可き所に非ず其美術品に因りて日本人の性質智徳を推測すれば我我文明國人と肩を比べ相對して耻しからざる人種ならんと扨てこそ東洋諸國中にて日本を一種出色國と見做し之を他と區別して待遇するなれ凡そ人間他を知るの必要なると同時に巳れを知るも亦甚だ必要にして日本の歐米人に知られたるは重もに其美術上に在りて是れぞ正しく日本の所長たることを知らば政治以下社會萬事の改良進歩を謀るの中にも自から其輕重を辨じて特に美術工藝の事を重んじ益益之を振興して彼の國人の知遇に答ふること實に今日の急務なる可し且つ我日本の山水風景人情風俗の優美なるは歐米諸國の人人が毎度賞嘆する所にして今後この優美なる社會に益益美術的の快樂奇觀を加ふることあらば美術風景社交の■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)より日本を東洋の一遊園として年年歳歳西洋好遊の客を引き附け客去りて其快遊を郷人に誇れば順次彼等の遊興を動してますます來遊人の數を増し斯くて西洋人を引き附ること多ければ自然に彼等の旅嚢を絞りて土地の潤となるのみならず一人にても多くの人に日本の國と爲りを知らしむれば自然我國名を揚げて他に知らるるの手段たる可きが故に旁旁日本國内に來遊西洋人の興を添え其耳目を娯しましむる者を増加するの手始めとして先づ我芝居の發達を助け劇塲道具立等を始め其規模を宏壯にして日本名物の隨一と爲すは其手段中の一なる可し聞く佛國巴里府にては當府に來遊する外國の人に成る可く愉快便利を與へて金を散ぜしむるの趣向にして府中の盛觀を添ゆるが爲め立派なる街道を作り美麗なる公私の殿堂臺■(きへん+「射」)を建築するを物ともせず例へば佛國政府にてグランド オペラと稱する有名なる能狂言座に毎年八十萬法、テアトル フランセーと稱する劇塲に毎年二十四萬法、其他オペラ コミク座に三十萬法、オデオン座に十萬法の補助金を與ふるが如き音樂歌舞美術奬勵の爲めとは申しながら亦是れ來遊人の歡樂を加ふるの一端にして官民共に府觀を飾り其來遊人をして樂んで去る能はず去りて復た來らしむるやう工風する其注意頗る周密なりと云ふ可し其他歐洲大陸諸國にては首府の或る劇塲に對して佛國同樣の保助を爲すものあり或は政府或は府廳にて芝居座を作り之を然る可き會社若くは一個人に貸附くるものもありヘンリー アーウヰン氏の如きも英米各地の芝居座を完全の物と爲さんとするには歐州大陸風の奬勵法を用ひざる可らずとの説を出し當時タイムス新聞は爲めに一篇の社説を掲げて之を評論したることありしが要するに西洋諸國にては芝居を人事中の一要具と見做して其物自身の發達を謀ると同時に之を種種に利用して其功益を空うせざるの用心あること自から窺ひ知る可きなり然るに本來美術國にして西洋人の之を知るも亦唯この一■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)に在りと云ふ我日本國にして却て彼の芝居等の事を輕視し諸外國の貴客等が芝居一覽を所望するに當りて日本國中一個の劇塲、之を案内するに適する者なきは國の面目なりと云ふ可らず左れば事情の許す限り官民共に此邊の事に注意し追ては國立芝居座を設くるか或は相當の新劇塲に相當の保助を給與して國の風教維持の爲め又府觀裝飾の爲め大に斯道の隆昌を期するは是れ亦今日の要務なる可し又世の芝居論者中には脚本音樂舞踏を始め劇塲道具立に至るまでも例を西洋芝居風に取る可し云云と説くものあれども其得失を細論するは暫く之を他日に讓り兎に角に我日本芝居は多年日本流に發達して西洋諸國の演劇とは固より其趣を異にするが故に今之を西洋化するは日本の■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)師が日本■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)を棄てて俄に油■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)を學ぶと一般、固有の妙所を失ふて徒に他の顰に傚ひ虎を■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)て狗に類するの恐れもあれば日本芝居は何處までも日本流にして時と共に其改良を謀ること肝要ならん此邊の細目に關しては聊か卑見もあれば追追之を記述して世人の高評を乞ふことあるべく世人も亦今日に當りて眼界を區區たる政治社會に限らず高歩遠望して社會の萬象を眼中に映せざる可らず古人水仙花を詠ずるの詩に坐對眞成被花惱、出門一笑大江横と云ふことあり偏に政治壇上の花のみを見詰めて出門一笑廣き社會の景色を■(めへん+「永」))むるの襟懷なきものは我輩の取らざる所なり         (完)