「二重の撰擧權」
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本文
二重の撰擧權
二重の撰擧權
衆議院議員撰擧の結果を見て我輩の最も奇異を感ぜしは議員二人を出す撰擧區の撰擧人な
り本來一撰擧區に二人の議員を出ださしむるの法は如何なる理由に起因せしものなるや撰
擧區を二つにして一人宛を撰出するときは事務の取扱上繁多に渉るの嫌あるが故に勞費を
節約せんが爲め故さらに便宜の取計をなしたるに外なかるべし便宜は洵に便宜なりと雖も
此區の撰擧人は他の一區一人を出だすの撰擧人に比すれば恰も二個の權利を得たるものゝ
如く而して黨派の爭より之を見れば多數の黨派に二人を占められて少數は一人も撰出する
を得ざるに至る彼は二倍の得意を催ほして此は二倍の失望あり多數の壓制も茲(玄+玄)
に至りて極まれりと云ふべし立憲政治の極意は各人の權利を成るべく一樣ならしむるに在
りと聞きしに同じく是れ納税者、同じく是れ撰擧人にして一は法律上當然二個の權利を有
し一は唯一に止まるとせば是れ亦偏頗の一として數ふべきものに非ずや世間には人口十萬
に付一議員を出だし十五萬にても亦同樣なりとは偏頗の沙汰なりとて撰擧區改正論を主張
する者あり蓋し偏頗の範圍の廣さを測量するときは是れも亦一論たるに相違なしと雖も其
深さに至ては一區二人の制こそ却て甚だしきものにして常理の遂に容れざる所なるが如し
且又黨派的の觀察を下だせば猶ほ一層酷なる所ありて相手替りて主替はらず一人の議員を
撰ぶ者も他の一人を撰ぶ者も同じ撰擧人の投票なれば一方に負けたる者は他方にも亦負け
ざるを得ず若し之を一人つゝ二區に分たん歟一方の得意もなく他方の失望もなく將た國民
全體上の不權衡もなかるべし之を事務取扱上の便宜に比すれば其得失果して如何ぞや若し
今後に於て撰擧法改正の議論起ることあらば主として此邊に改正を加へられんこと我輩の
傍より望む所なり
輿論は如何
今の政黨の中には庚寅倶楽部の如き大團體組織の計畫もあり更に一歩を進めて進歩黨連合
の相談もありし趣なれば或は他日その成就を見ることあるべき歟なれども我輩は敢て其必
成を期せず唯從來の離合掛引に思ひ合はせて今度の新撰衆議院議員を統計するときは各々
多少の差違はあれども全く絶望せざる可らざる迄に失敗したるの黨派は少なく猶ほ辛苦經
營自黨の擴張を圖るの餘勇を得たるもの比々みな然るものゝ如し左れば〓に撰擧の結果を
一見したるのみにて直ちに天下の大〓〓〓するは大早計の至りにして今後幾多の競爭手段
を經て如何なる形勢に成行くべきや唯ますます政黨の運動を激烈ならしむることを認むべ
きのみ扨斯る個々分裂の議員を以て政府の攻略に抵抗するの塲合は如何と云ふに事の種類
によりては〓(げい・門構えに兒)墻の爭いを棄てゝ一致運動をなすことあるべしと雖も
黨派の意氣互に相投せざる所より議論は往々俗に謂ふ同士討の姿となり政府は之を觀望し
て意外の好都合を得たるに微笑することなかる可きか衆議院の院論既に一致せざるときは
民間に於ける輿論の調子も自ら一致せずして一方に政府を攻撃する者あれば一方に之を辨
護する者ありて所謂輿論の勢力なるものは自然に其幾分を減することなるべし現に昨年の
條約改正論の如き即ち事例の一端を示したるものにして政治上の掛引には隨分有勝の不策
なるが如し然りと雖も是れは獨り民間の黨派のみならず政府部内に於ても此般の路行は毎
度經驗したる所にして前例に示せる條約論と云ひ又は近來の議會權限論と云ひ其他歩合ひ
讓合ひ抔と云ふことは何れも民間の勢力に動かされたるに非ず又理論の手前を遠慮したる
にも非ず歸する所は政府部内に反對論の出現するが故にして局外より之を見れば矢張り〓
(げい・門構えに兒)墻の爭たるを免る可らず即ち政府の輿論の一致せざる弱點なる可し
民間の政治家は自から既往の實歴に照らし政府部内の譲合ひに由りて曾て好都合を得たる
覺えあらば翻て在野黨派の競爭に由りて政府に好都合を與ふることなきやに着意せざる可
らず政府に於ても亦同しく多少の情實を裁斷して兎も角も一致和合の計畫をなさゞるに於
ては將來或は不味なる結果を見ることなきを保す可らず斯くて雙々互に平行し相制肘して
議論を戰はすときは所謂政黨内閣の實も漸次に行はれ立憲代議の主意庶くは貫徹するを得
るに幾からん然らずんば我輩は政治の秩序の甚だ紊亂せんことを惧るゝなり