「商業會議所論  二」

last updated: 2019-11-24

このページについて

時事新報に掲載された「商業會議所論  二」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商業會議所は人を得ざる可らず

政府にて近近發布す可しと云ふ商業會議所條例中、會議所の事務權限は至て重大なる者にして商業に關する法律規則の制定改正廢止、及施行方法其他商業上の利害に關する意見を官廳に開申する事、商業に關する事項に付き官廳の諮問に應答する事、法律命令若くは官の委任に依り其他の公設營業所、仲立人組合及商業に關する諸營造物を管理する事、關係人の請求に依り其他の商業に關する紛議を仲裁する事等の諸箇條の如き會議所に十分の重きを置くものと云ふ可し又從來の商工會若くは商法會議所には辨士論客の流を交へて眞成の商工實業者は却て之に近つかざるの意味もあるかたがた今度は會員の撰擧者及び被撰擧者を商法第四條に掲げたる商人及作業人にして所得税を納むる者に限り又會議所の諸經費は從來所員より取立てて毎度不十分なりしかども今度は之を會員の撰擧權を有する者より徴收することと爲したるが如き(此徴收法の事に付ては記者自から説あれども之を他日に讓る)學術技藝若くは商業上の經驗ある者を特別會員として參列せしめんとするが如き何れも商業會議所に向て重きを加へ此會議所を經由して承認の意望を發表すれば官民何れに對しても聊か〓用を博するに足る可し即ち條例面に於て會議所の組織法は整然たれども條例は一片の死文なるが故に之を活用せんとするには先つ其人を得ざる可らず人を得るの道は他に非ず各地の商業會議所に有爲の商人を網羅して十分その力を致すの地歩を得せしむる事是れなり盖し文明國人は名望令譽を一身に收めて自から榮とするのみならず其身の重きに因て以て其居る所の社會の重きを致し蛟龍■(さんずい+「單」)中に在りて池魚をして悉く靈ならしむるの趣なかる可らず即ち我商人の如きも身商業社會に在りて其中に營業する間は智徳の働きを顯はして共に此社會の光を添え他の社會の人をして之を望んて敬畏せしむること肝要にして其居る所の社會が重からざれば其身の位地も高からずして公私兩ながら不得策なれども人事の進歩せざる國柄に於ては人人共同して事業を成し又名譽を得るの念なく或は寧ろ之れに反して人の功を忌み人の美を成すことを好まざるの風あるが故に文野兩樣の社會に於て一人と一人とを對比すれば左までの相違なしと雖ども此人人が寄り集りて事を成したる其跡を見れば大に異なるものあるが如し例へば文明富豪の人が遺産若くは慈善金を以て學校病院書籍館其他公共の事業を起せば他人も之れに賛同して資財を以て勞力を以て益益その規模を廣げ又其基礎を固むることを勉め同志相助け先後相繼ぎ結局事の大成を見て之を樂むの美風あるは毎度我輩の見聞する所なれども人事未開の塲所柄にては人の局量狹隘にして郷黨動もすれば相軋り互に其事業を共にし其名譽を同うして社會全體の成功を求めず同社會人の中にて一人名譽を得るものあれば巳れの名譽は之れに對して次第に相下るが如き感情を生じ隱然他の事業を妨けて君子人の美を成すの盛徳を思ふこと能はざるは誠に嘆はしき事共なり特に商人社會などには同臭諸方に相寄りて自から一種の派別を成し其派別の種類に因り平常營業上の利害を異にするが爲め商界公共の事業に就ても互に相助くることを好まず甚だしきは徒に他人の事を妨げ尚ほ甚だしきは陰に他を陷れて自から利せんとする者さへなきに非ず誠に淺間しき人情にして斯かる人情の支配する間は商業社會に公共の事を語る可らず假令へ條例に從て會議所を新設するも商人の全力を集ることは難かる可し商業會議所員に貫目なき人物多くして開申答辨も平平凡凡、之を從來の會議所に比して面目を改めざれば條例文面に於て如何なる權力を附與せらるるも其運用の妙を盡くすことを得ざるは固より多言を待たざるなり盖し我商業者は從來全く無權力にして商業上の立法に就ても一言、喙を容るること能はず商法會議所ありと雖ども政府は之を輕視して殆んど取り合はざりし程の次第なれども今度商業會議所を法律上より認定して商業に關する法律規則の制定改正廢止、及施行方法其他商業上の利害に關する意見を政府に開申せしめ又商業に關する事項に付き政府の諮問に應答せしむるが如き商業者の集會に重きを置きて其意望を發表せしめんとする者にして我商業者に取りては實に是れ千載の一遇、會議所に相當の人を得て政府をして眞實その意見を採納せしむるの初例を開かば或は此機會に乘して日本商人が自治獨立の社會を成すの日もある可し左れば政府に於ても條例の精神を失はずして眞意商人の意望を重んぜざる可らざると同時に商人も亦その期する所の目的を大にして區區たる私の情實を忘れ自尊自重して自然に會議所の品格を増し以て彼の條例の精神を實地に貫行せしめんこと我輩が我政府并に商人に向て偏に希望する所なり