「コレラ防ぎの寄附」
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時事新報に掲載された「コレラ防ぎの寄附」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
長崎のコレラ、次第に蔓りて遂に東京に來り、當月初旬よりチラホラ病人の沙汰ある折柄、七日以來京橋區の
南紺屋町に發したるものは、正銘紛れもなき眞症のコレラにて最も劇しく、其後日々の發病止む可き氣色もなし。
此樣子にて市中に弘まりたらんには、夥多の人命を失ふのみならず、人氣騒立て何事も手に附かず、商賣も營業
も休み同樣にして、之が爲めに假令へ病に罹らぬまでも、今日の渡世に難澁する者は如何ばかりなる可きや。貧
富貴賤の差別なく其禍を蒙るは一樣にして、東京市中の大災難と申す可し。此時に當り如何して災難を免かる可
きやと云ふに、近來醫術の大に開けたるこそ幸なれ、此恐ろしき流行病を防ぎ止るの法ありと云ふ、其法は過日
來の新聞紙にも記したる如く、第一に清潔法とて家の内外あるとあらゆる不淨を取除き、コレラの毒の宿る可き
*一行読めず*
片時も猶豫せずして醫師に知らせ、病の本物なれば勿論、假令へ似寄りの病症にても、吐瀉したる不淨の物には
消毒の法を丁寧に行ひ、兎に角に其病を其一箇所限りに防ぎ止めて他に移ることなからしむることなり。醫師の
説を聞くに、いよいよ醫師の思ふがまゝに働きて心殘りなきまでに手を盡すことの叶ひなば、如何なるコレラに
ても東京市中を荒らすことなからしむるは急度請合なりと云ふ。左ればこそ今年は東京府にても警視廳にても、
惡疫防禦の軍略は都て醫師に任せ、巡査その他の役人は唯醫師の差圖に從ふて立働くやう約束したるよし。至極
の名案にして、此趣向なれば必ず勝利なる可しと思へども、爰に差向きの當惑は金の一條なり。抑もコレラの防
禦は火事の防禦に異ならず、一寸發病と聞けば直に驅付けて、病人を治療し、治毒法を行ひ、其場所限りに防ぎ
止ること、消防方が火の手を見て直に消し止ると同樣にして、其場所の多きほど入費も嵩むは當然の事のみなら
ず、火事は能く人の目に見ゆるが故に、唯その火をさへ消せば外に心配なしと雖も、コレラは之と違ひ、發病の
場所だけは十分に消毒の手當しても、神變不思議の病毒、人の知らぬ間に下水に流れ、井戸に染込み、或は一本
の房楊枝が川に浮び、一筋の手拭が屑屋の手に渡りたるが爲め、病の大本は安心と思ひの外、一夜の間に毒を三
里の遠方に傳ふることあるが故に、其邊にまで心を用ひて大丈夫を踏まんとするには、唯醫學の道理に基き、念
に念を入れて、俗に云ふ下手念を盡すの外なし。卽ち大いに金の掛ることにして、中々以て火事消防の類にあら
ざるを知る可し。就ては市中の各區には是れまで衞生費の用意もあることなれども、迚も今度の用度に足る可き
にあらず、市中臨時の災難には市民臨時の散財も止を得ざる次第なればとて、大日本私立衞生會にて寄附金の事
を企てたり。我輩に於ては固より之を贊成するのみならず、市中の人の身に取りても必ず我輩と同意ならんと思
ふ其次第は、彼の盤〔磐〕梯山の破裂に金を投じ、米價高直とて救助米を施すが如きは、全く慈悲の心より出でゝ人の
爲めにするの一方なれども、今度の寄附は人の病難を救ふて十分に恩德を施す其外に、油斷すれば自分の身に及
ぶ可き病毒を其未だ來らざるに防ぎ止ることなれば、火事の最中に金を出して類燒を免かるゝに異ならず、十露
盤の上にても價の安きものなりと云はざるを得ず。人の爲めにし、自から爲めにし、慈悲と利益と一擧兩全の寄
附金、其多少に拘はらず、上は巨萬の大家より下は其日暮しの市民に至るまで、分に從ふて募に應ぜられんこと、
我輩の冀望する所なり。 〔ハ月十一日〕