「商業會議所論 三」
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時事新報に掲載された「商業會議所論 三」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商業會議所は多用なる可し
今度商業會議所條例の發布に際して我日本商人が商業社會公共の爲め區區たる私情を忘れて十分其事務に盡力せんとすれば條例にて附與されたる權限の外に大に其力を用ひて此社會の發達を謀る可きもの少なからず蓋し我國從來の慣習に士農工商と稱して商事を社會の下級に置き之を下流人の手に任せたるが故に此社會を見渡して名譽權力の乏しきは勿論、學識智見も自から淺薄なりと雖も商業立國の必要なる今日、我多數の商人をして長く今日の位地に在しむ可らず即ち此社會の長老者は常に之を開導して智見養成の端を與ること肝要にして追て商業會議所設立の上は會議所に凖會員を置て會員撰擧權を有する者をば何百何千人にても自由に此凖會員たらしめ彼の商業會議所と多數凖會員との間柄を一層親密の者と爲すか或は會議所に附屬する一種の商人■(にんべん+「且」+「一」+「八」)樂部を設けて商業會議所の會長に■(にんべん+「且」+「一」+「八」)樂部會長を兼務せしめ會議所議事の筆記は勿論、時時商政上の意見を纏めて之を其會員に配附し商業會議所に後援を備へて其重きを致すと同時に一般の商人を導きて其公共心を養はしむること實に今日の急務なる可し又此商業會議所は商業社會人材の府と爲り時時商業上の意見を定めて内國官民の參考に供するは勿論、之を外國語に飜譯して海外諸國人に示す等の手順を立てざる可らず從來海外諸國人は日本商政上の状態を知るに適當の道を得ざる〓爲め居留外國人の組織に係る商業會議所の報告を〓〓寄せ若くは其意見を聞きて之れに信據するの例なるが故に我國商政の事情に關して諸外國人の眼に映じたるものは渾べて居留外國人に都合よきやうの者のみにして一回營利的人の心眼を經れば光線種種に屈曲して先方に映ずる所の者は决して實の寫眞に非ず即ち海外の見物人を誤りて彼等の心中常に我國に不利なる判斷を生ぜしむるが如き毎度有り勝ちの事にして我條約改正等に就ても之れが爲め多少の障害を與へたるや疑を容れず左れば我重立ちたる商業會議所にては諸外國商業會議所等に向て今後通信交際の好を通じ年年その報告意見等を纏め夫れ夫れ之を飜譯して彼等の參照閲讀に供し彼等をして單に居留外國人等の報告のみに由らず純然たる日本商業會議所の細報に接して我商政上の眞相を窺はしむること肝要なる可し兎に角に商業會議所は時勢の然らしむる所今の商業社會に對して重大の責任あるが故に漫に西洋の例に傚ふを要せず我國の所見を以てすれば彼の身代取調事務を商業會議所の一局部に屬して其事務の端緒を開くが如きも亦是れ當務の急ならんと信ず凡そ西洋諸國にては商人の信用堅固にして金錢の貸借に間違ひなく手形の約束に不都合なく商品の授受に不正なくして幾千萬の取引も多くは滑に行はるれども人の不正不都合を絶つには漫に其徳義心のみに依頼す可らず一方には徳義心に訴ふると同時に一方には形ある仕組を以て其不正不都合を制すること肝要にして彼の身代取調の如き即ち其一法として見る可きものなり我日本國にても追追商業の發達と共に商業社會に此仕組を得て破信を未萠の中に防き人人欺く可らざるを知りて自から欺かざるに至らんこと最も肝要の事なれども初めより一個人に任じては事業に重きを置かざるが故に當分商業會議所にて其事業を管理して漸く端緒を開かしむるは時宜に適したるものなる可し此他商業上の統計を集め法律の下調を爲し若くは我商業の舊慣歴史、立法上の參考書類たる者を手廣く會議所に網羅して商事に就ては官民何れに對しても俗に所謂物知りとして一一その疑を解き其問に答ふるの用意を爲す等、凡そ此邊の事業に渉れば各自營業ある會員等が身を以て之に當ること能はざるは固より言を待たざるが故に會議所は其經費の許す限り幹事の才ある人人を雇ふて事務官となし此事務官諸氏をして彼の商業會議所と名くる有用なる機關の運轉上に十分の力を盡くさしむること亦是れ必要の事なる可し凡そ此類の枝葉論に渉れば所見も固より多端なるが故に今暫く之を擱き爰に一事の重大なるものは全國商業會議所が常に其氣脉を通じて個個相孤立せざること即ち是れなり今西洋商業國の會議所を見るに平常互に氣脉を通じて其運動を同うするは勿論、年年國の首府に於て全國商業會議所の聯合會を開き商政上の問題に就き毎會議决する所ありて其議决を施行するに政府の凖許を得べき者は國會議院に提出して評定を促かす等關係重要なる者にして之に一種の名を附すれば商業上の國會と云ふも可ならん斯あればこそ全國の商人互に方向を一にして其社會の獨立を保ち政治社會と相對して毫も相下らざるなれ意ふに我商工會若くは商法會議所が從來官民雙方に對して其權力を伸ぶること能はざりしは原因固より種種ならんと雖も全國の會議所、氣脉を通じて事を共にするの趣向なかりしが故にして一方の政治社會には將に國會を開設せんとする今日、商人社會も奮て商業上の形勢を一變せんと欲せば今度商業會議所條例の發布を機として商界の長計を■(「畫」の上部+下部はかんにょうの中に「田」)き惠を後人に遺すの覺悟なかる可らず若し夫れ會議所條例中、一條一條を吟味すれば多少の目障りなきに非ず例へば會費を納めざる者を二百圓以下の過料に處し故なく職を辭する者に過怠金を課するが如き其是非を論じたらば樣樣の理由も附く可しと雖ども要するに條例は死文にして之を活用する其人を得れば如何樣にも之を變形して其働きを逞ふすることを得べし我輩は我商人諸氏が此條例を善用し又或は修正して商業社會獨立の根脚を固くせんこと念念熱望して已まざるものなり (完)