「東京石炭」
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時事新報に掲載された「東京石炭」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
東京石炭
佛領東京地方には石炭富饒の塲所ありて坑區廣大無盡藏と稱し近頃佛國起業者中、之を採
掘せんとして東京石炭會社なる者を創立したるに香港邊にて有名なる英國商人なども株主
と爲りて其評判の高きに隨ひ會社株券は異常に騰貴し一時は拂込金額の凡そ七倍に達した
ることもありしよりなるが同社事業の設計は今や已に充分に整ひ數多の土人礦夫を使役し
日々の採炭其量少からず唯其産炭の未だ市塲に出でざるは炭坑口より港頭まで通すべき鐵
道工事尚ほ成就せざるに因ると雖も來る十一月頃には右工事も完成すべきが故に遲くも來
年始めより此地方豐富なる石炭は各地殊に東洋の市塲を濕ほすに至るべしと云ふ尤も我當
局者が此程同地産を取寄せ實際を試驗したる成跡に從へば炭中に含有せる骸炭に對して揮
發物割合に少量なるを以て火附き思はしからず燃用上多少の面倒あるを免れざれども火力
其他の點に於て別に申分なく兎に角今後の石炭市塲に侮る可らざる剛敵なるべしとなり、
我輩の聞く所に據るに從來支那近海より海峽殖民地に掛けて南亞細亞一帶の地方は石炭の
供給割合に少なく或は遠路を厭はずして其供給を濠洲邊に仰ぐの勢ありたれば近年日本の
石炭も次第に販路を該地方に開き追て九州各地に於て採炭事業の勃起するに至らば我日本
石炭は東南亞細亞沿海岸の市塲を一手に引受けて之を支配する程の勢力を得べしとの事な
れども今東京地方に於て果して石炭の無盡藏あり之を採掘して市塲に出すに格別の勞費困
難なくして炭質も相應の者ならんには南亞細亞沿海岸の市塲にて之を需要するの急なるは
馬頭米嚢も啻ならず其需要心の一般に此石炭に傾くは即ち自然の勢にして日本石炭の輸出
上非常の影響を及すのみならず内の石炭相塲上にも亦大變動を來すことある可し一歩を進
めて考ふるに今彼の東京石炭が追々市塲の需要に應じて其産額を增すに至らば早晩南亞細
亞に起らんとする形勢一變の機を促して之を急にするの趣を生ず可きは我輩の窃に推測す
る所なりと申すは他に非ず近年英國の商業は東南亞細亞並に濠洲一方に廣がり今より前十
年間に英國より加奈太へ輸出したる綿布は凡そ百分の十二を減じ又米國行の分は同四十四
を減じたれども濠洲地方へ輸出する綿布は百分の七十三を增加し英領印度に向ては百分の
五十、支那香港日本行は同五十七を增して英國中にて製造する綿布の凡そ四割三分は支那
印度の需要する所と爲れりと云ふ左れば英國有志家中鐵道を以て印度と支那とを聯絡する
の考案を抱くもの多く其線路の由る所に就ては固より種々の説あれども一説には英領緬甸
のモルメイン港を發點とし一線は緬甸を貫通して印度線に聯絡し一線は直に暹羅國に入り
兼ねて同國より東京を經て支那地方に通ぜんとする鐵道事業を計畫する者と共に協同合力
して南亞細亞地方一帶に鐵道の交通を開かんには貨物出入の便利を增して英國は勿論、歐
洲諸國共に其貿易を擴張することを得べしと云ふ現に英國ランカシエヤ地方の製造家は其
綿布貿易上後來東南亞細亞を以て新大市塲と爲すの考あるが故に南亞細亞鐵道の起業資本
に就ては充分其力を致すことなる可く斯くて時勢の熟するに隨ひ早晩鐵道の成就するあら
ば人文上に貿易上に南亞細亞各地方に向て一大變動を及ぼさんとする其折柄、近頃世上に
風説するが如く東京地方に石炭山ありて追々採掘に着手するに隨ひ價の安き石炭が市塲に
溢れ出づることもあらば彼の鐵道計畫者の如きも忽ち其勢を得て一層發業の念を增し文明
交通の便法も爰に忽ち成功して南亞細亞形勢一變の機會を作ること必然にして我日本國の
如き社交上に政治上に隱然その影響を蒙るは勿論、其貿易に於ては彼の石炭業者に對して
直接の利害を及ぼす可きが故に當業者の此邊に注意す可きは申すに及ばず我政府中商工業
上の局に當るものは斯かる事態にこそ最も力を致す可き筈なれ事の虚實を充分に見定め當
業者をして前以て之れに應ずるの用意あらしめんこと我輩の偏に希望する所なり