「美術の評に就て一言」
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本文
美術の評に就て一言
今回の博覽會出品の美術品に付き或る外國美術家の評に日本の美術に近來衰退の色あるは
兼てより承知する所なれども更に實際を觀れば又失望の至りに堪へず今回の出品に就て之
を評するに其手先の細工は頗る巧妙なるものあれども要するに創造の意匠は次第に薄弱と
なり摸倣の精神ますます盛なるものゝ如し蓋し其原因は種々樣々なることならんと雖も近
年來日本の學校にて頻りに實物教授を奬勵し繪畫の如きも專ら實物に就て學ばしむるより
爲めに創造獨得の精神を發輝すること能はずして偏に模倣の一方に傾きたること重もなる
原因なる可し云々の言ありしと云ふ其言或は然るやも知る可らずと雖も我輩の所見を以て
すれば今日美術の衰退は更に重大なる一の原因ありと云はざるを得ず抑も日本美術の今日
に至るまで獨得の發達をなしたるものは他なし數百年間社會に一種獨得の發達をなしたる
ものは他なし數百年間社會に一種強大の勢力ありて日本人が祖先以來氣候風土歴史其他
種々の境遇より感得したる美術の意匠を助長推進したればなり一種強大の勢力とは即ち封
建時代大名の贅沢にして二百五十年間の太平に德川幕府を始とし全國三百餘の大名は華奢
風流の贅澤に耽り方技曲藝の徒に至る迄も務めて之を網羅し遊戯の藝に長ずる者さへ官に
衣食して其職を世々にするの有樣なれば時の技藝家は何れも其恩澤に依りて自家の業を專
修する事を得たるが故に一世の氣風靡然として此に向ひ隨て世に名工巨匠を出すに至りし
や又疑ふ可らず世の所謂美術家なるものは盛に王朝の昔を稱揚する者もなきにあらず盖し
王朝の美術は奈良朝廷の盛時に發達し物に依りてや大に觀る可き者もあるのみならず或は
後世人の到底企て及ぶ可らざる所少なからずと雖も要するに當代の到底企て及ぶ可らざる
所少なからずと雖も要するに當代の美術は唯後世の素を爲したる者に過ずして眞に圓滿微
妙の發達をなしたるは德川封建の時代に在りと云はざるを得ず然に維新革命の一擧、幕府
先づ倒れて尋で三百の大名も封土を奉還すると共に其贅沢の資を失ひたるが故に封建の餘
蔭に生々して發達を遂げたる人事は一として衰頽せざる者ある可らず美術の如きも其數に
漏れざること勿論にして封建制度の盛衰と其運命を與にするは亦止むを得ざる次第なりと
申す可し左れば今日の有樣にては日本の美術は恰も其滋養の泉源を失ひたるものにして泉
源既に涸槁する以上は獨り其末流の盛なることを望む可らず近來世人に美術奬勵の論甚だ
盛にして唯これを口に唱ふるのみならず共進會の開設と云ひ學校の設立と云ひ又は博物館
の擴張と云ひ其他奬勵に關する實際の手段頗る油斷なきが如しと雖も大厦の傾く一木の能
く支ふ可きにあらず區々たる奬勵法は以て大勢の衰頽を押へ留む可きに非ざるが如し左れ
ば此時に當りて之を救ひ之れを挽回して固有の光華を發輝せしめんとするには先づ其滋養
の泉源を深くすること必要なれども今の日本の社會に人爲の大名を作りて其贅澤を利用す
るが如きは到底行はる可き沙汰にもあらざれば今日の處は暫く帝室の餘光を假りて其命脈
を維持保存し他日我國民の富寶を致して國内に滋養の泉源充溢するの日に至り而して後に
大に其奬勵法を談ずるの外なかる可し方今都鄙に富豪と稱する者なきに非ず其力能く美術
の後援を爲すに足る可しと雖も不幸なるは金力ある者に限りて雅致風韻に乏しく假令へ財
を散して豪奢を事とすればとて其散財の法都て俗にして唯僅に自から肉體の慾を慰るか然
らざれば郷黨朋友に向て錢の多きを誇るに過きず之を彼の封建の大名高家が祖先の遺勲に
坐食し志氣高尚優美にして金錢の何物たるを知らず歳計の入を計らずして唯出を爲すもの
に比すれば同日の論に非ず畢竟我美術は此大名高家の流に養はれたるものなれば今の俗富
豪輩も漸く年所を經て漸く其富有に慣れば自から高尚優美の志想をも生ず可きが故に其時
に至りて美術も亦隨て澤に霑ふことある可し蓋し天下の人心を察して射利に忙はしき時代
には美術の發達は見る可らず美術の爲めに謀れば我輩は今の俗富豪等の脱俗する時節を待
つ者なり