「政治家と實業家 (前號の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「政治家と實業家 (前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

世間百般の事に權力を有して一顰一笑何れも人の喜憂と爲り獨り威福を弄んで人をして其鼻息を窺はしむるは寡人政治の國に於ける政治家得意の境界なれども立憲政治國に於て經世の事に任ずる者は斯かる小兒の戲を學んで百年の大計を誤る可らず凡そ何等の事柄にても身躬から其事に當りてこそ始めて微細に利害得失を知る可きなれば實業社會を知るの深きは固より實業家に若く者ある可らず然るに今彼の政治家が身實業社會に在らず隨て其利害をも感ぜずして外面より種種の診斷を下し救濟策と云ひ治療案と云ひ樣樣の手術を施して麻姑掻痒果して病家の急所に當り起死回生の功を奏することを得べきや實地治療の經驗なき者が篤と病人の容體をも聞かず一片の病理論より思ひ當りて當て推量に匕を取ると一般、其治効を奏するは眞に偶然の奇中にして十の八九は病者を誤り其舊健康を併せて全體に損傷を及ぼすは勢の自然なりと云ふ可し本來政治社會の人が實業社會に喙を容れて法律を作り訓令を傳え導くが如く嚇すが如く深切なるが如く嚴重なるが如く始終干渉專斷の跡あるを免れざるは畢竟この社會の不振を歎き良制善法を導きて一日も早く之を改良振興せんとするの熱心より外ならず斯かる熱心を抱藏して實業社會の爲めにせんと欲せば事を爲すに先ちて之を實業家に謀り此事は實際に行はる可きや之を行ふて如何なる利害を生ず可きや又其事は實業家中にて平常希望する所に戻るや或は大に適するや云云と十分その事情を探究して政治家も實業家も互に意衷を示し合ふて其折合の附く所まで詰め寄り爰に始めて事を决行することとも爲らば實業上の立法も自然實際を離れずして萬端迂■(さんずい+「闊」)の談なきに至る可し即ち實地病人に接して篤と其容體を質し痛痒の所在を審にして然る後に投劑施術するの趣向にして今の政治家たる者は實業上の施政に就き常に此趣向を忘れざらんこと我輩の切に願望する所なり斯くて政治家が實業家に近寄り實業上の施政に關して或は自説の當否を下問し或は彼等の發案を容れて之を採擇するの美風を成せば實業家の方も之れに應じて其意望を發表するの仕組を按じ西洋諸國の例に傚ふて有力なる商法會議所を構造するか若くは其他の趣向を以て一種實業上の團體を設け政府の諮問ある毎に逐一これに答へざる可らず即ち實業家の輿論製造所を組織するの必要ある所以にして其の組織方法に就ては我輩聊か卑見なきに非ざれども今暫く之れを擱き兎に角に斯かる塲所柄を得れば實業家は彼の政治家に向て其社會の實情を談じ改良施設の急所を示して事情必要の塲合には其立法の手を假ることを得べく後來萬端好都合に運ぶ可きは勿論、政治家に取りても亦自から便宜なる可しと申すは他に非ず本年國會開設以後、政府の議案として國會に提出する者の中、財政實業に關する者は利害の關係重要にして議論紛雜を極むることならんと雖ども此議案は政府の臆斷推測にて例の通りに構成したる者に非ず一應實業家と相謀りて充分その意見を聞き實地不都合なきを突き留めて然る後に提出したる者なりとあれば國會議員の面面も一概に之を廢棄し可らず之を廢棄する者は實業家の意望をも察せずして漫に否説を唱ふる者にして取りも直さず自から其實際に迂■(さんずい+「闊」)なるを表白するに過ぎざれば自然その議案の精神を重んじて彼の黨論紛雜の渦中に實業上の問題を卷き込むの度合を緩にすることを得べし左れば彼の政治家をして實業家の意望を重んぜしめ實業家も亦その意望を發表するの仕組を設けて此社會の事に就ては互に腹藏なく評議して事の實行を便にすること雙方相互の利益にして今の政治家たる者は實業長年の大計の爲めに先つ此利益の端を開かざる可らざるなり葢し今の政治上の仕事は實業と共に伸縮する者にして實業上に失政多く間接直接障害を與へて其進歩を見ざることもあらば税源も今日の如くにして長く其積量を増さず文明進歩人事の益益繁多なるにも拘はらず租税額は相替らず八千萬圓内外にして之を増加する能はざるのみか或は之を■(にすい+「咸」)少して文明事業に退色を呈するの恐なしと云ふ可らず近來世間の進歩黨など稱する者が動もすれば政費節■(にすい+「咸」)論を唱ふれ共金なくして進歩の實を擧げんとするは固より六ケしき注文にして眞實進歩的思想ある政治家は先つ實業上の發達を謀りて深く其税源を養ひ事業と金とを割合はして着着事を進めざる可らず我輩が我政治家をして今日特に實業の事を重んぜしめ互に相助長して此社會百年の基本を定めんことを期し反覆論説して已まざるものは其微意自から此邊に存するを見る可きなり          (完)