「大坂米商會所」

last updated: 2019-11-24

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時事新報に掲載された「大坂米商會所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大坂市に於て米の買占めを止めんとて官邊より堂嶋の米商會所に臨時の説諭を加へ又仲買

人の帳簿を調べたるが如き實際に其の効なかる可しとの次第は前節に開陳したれども今そ

の有効無効論は姑く擱き本來一國の政府たるものは國民正當の營業に干渉すること此點に

まで至るも妨なきものか一考を要する所ならん米の定期賣買は米商正當の營業にして營業

自活は日本國民の權利なり他より間然すること能はざる所のものなり又人間の營業には各

自固有の秘密あるものにして其秘密の大切なるは大小輕重の相違こそあれ一國の政府にて

云へば政機の秘密なるに異ならずして店の帳簿は即ち其秘密中の一物なり然るを政府の吏

人が何か思ふ所ありとて青天白日に仲買人を呼出し秘密の帳簿を調べて又買方注文筋の姓

名をも表白せられたりと云ふ仲買人の體面に影響する所は决して輕からず實際に於て其人

の正不正有罪無罪は差置き滔々たる世人の見る所にて臨時に警察の筋の呼出しに逢ひ帳簿

迄も調べられたりとありては何か怪しき形跡もありしならんと竊に邪推を運らし甲饒舌り

乙傳へて無根の事も事實のやうに言囃さるゝは俗世間の常情にして即ち本人の身に取りて

は客に對して信用を薄くするの媒介と爲り其營業の盛衰に關すること容易ならず又その帳

簿上に買方注文筋の人名をも調べたりと云ふ其姓名を知る者は官吏限りにして世に公にす

るにはあらざる可しと雖も一度び會所の公席に帳簿を開くときは俗に云ふ壁に耳あり天井

に目あり必ずしも秘密を保つ可らずして本人の身と爲りては自分が目下買方に廻りて何程

の石數を買持し居るとの事實を人に知られては商賣掛引上の一大事と思ふ者もあらん又或

は相塲所にて米など買はんと思ひの外の人物が一寸手を出したる其時に不幸にも姓名を知

られたるが如きあらんには其人の心を痛しむるは恰も市朝に鞭たるゝが如くなる可し何れ

も國民たる者の私權に關すること大なるものにして政府が國民に對する權力は果して斯く

までに擴張して妨げなきか朝野識者の當さに一考す可き所のものなり方今富國策を講して

商業社會の地位を高めんと云ふ者あり、又憲法發布して國會將に開んとするの時に當り國

民の權利は舊時に倍したりと云ひ、有名なる商法の實施も近に在りて其の精~は商賣營業

の堅固安全を謀るものなりと云ふの折柄、一方より目下の事實を見來れば商人の地位の憐

む可きこと斯の如し春風和暢百花爛〓〔火+曼〕の下に池の氷は尚ほ未だ解けずして群魚

の萎縮するものあるが如し時候不揃なりと云ふ可し彼の久しく差縺れて到底行はる可らざ

るブールスの如きも唯これを半空に懸けて商人等の大利害を度外視するは畢竟この時候不

揃の故ならんのみ我輩の宿論に農商務省は全國の農商を代表して其利害を護衛するものな

りと信じ政府の主義も必ず其邊に在ることならんこれは斯る塲合にこそ一省の權力を以て

恰も商人等の後楯と爲り八方に向ひ辨護論爭して商業獨立の面目を全ふせしめんこと冀望

に堪へず或は云ふ商業の獨立は固より願ふ所なれども彼の相塲所の如き之に關係出入する

商人の品位甚だ低きが故に官邊より見ても尋常普通の法を以てす可らず、塲合次第にて之

を御するに臨時の權道を以てするも可なりとの説あれども我輩の服せざる所なり人品の高

きと低きとは私の議論にして法律の下に言ふ可き言に非ず日本の法律果して國民の私權を

重んずるの精~ならば陰にも陽にも之を重んじて微細の部分をも輕々に看過す可らず何ぞ

人品の如何を問ふの遑あらんや况んや其品格低しと云ふも官の筋より之を視ること低くし

て隨て之をして低からしめたるの事情あるに於てをや凡そ商業の種類多しと雖も其筋の干

渉を蒙ること相塲所より甚だしきはなかる可し商人等は時としては呼出され、時として拘

引せられ又時としては塲所を閉さるゝ等其状恰も巖重なる繼母の繼子に於けるが如し俗に

云ふ賣言葉に買言葉にして繼子も斯くまでに取扱ひを蒙れば聊か自暴自棄の根性を生じて

次第に改良の道に遠ざかるものゝ如し此點より立言すれば我輩とても决して今日の相塲所

を悦ぶ者にあらず既に之を厭ふこと甚だしと雖も日本國中朝野の人事に厭ふ可きは獨り相

塲所のみならずして他に亦種類の多きことなれば特に相塲所に限りて俄に之を一新して面

目を改む可きに非ず唯漸次に改良を謀る其中にも繼母と繼子と相對して其間に常に反對の

苦情あらんには我輩は徒に無力なる子を咎るよりも先づ強大なる母に訴へ其子の取扱ひを

高尚にして次第其心事を高尚に導かんことを勸告する者なり        (畢)