「ブールス法の存廢」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「ブールス法の存廢」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ブールス法の存廢

近來諸法律規則の制定發布頻々たる中に今日に至るまで落着せざるものはブールスの一條

なり從來の株式取引所米商會所の營業は其期限來年の六月に迫り定期の賣買は三箇月とあ

れば所の運命の定まらざる限りは六月の期限前に營業は廢止せざるを得ず商業社會には實

に由々しき一大事にして利害の及ぶ所大にして廣し商業を重んずる政府の義務として一日

も之を等閑に附するの道理はある可らざるなり聞く所に據れば政府に於てもブールス法の

實地に行はる可らざるは既に之を了解し得たれども左りとて一旦勅令として發布したるも

のを引く譯けにも參らず且時日も切迫して新に法を議するの暇もあらざれば兎に角に勅令

をば其まゝにして差置き從前の相塲所に向て更に營業の延期を許さんとの内議もあるよし

申し傳ふる者あり此傳聞にして果して信ならんには我輩は之に服するを得ず元來國の法律

は國民の利益の爲めに作るものなり政府にも鬼神の明あらざれば是れは民利ならんとて發

布したる法律が時としては豫想に反することもある可しいよいよ豫想に反して民に不利な

りとのことを發見したらんには斷然これを廢して可なり政府の威重に害なきのみか却て當

局者の公明正大を世間に表白するに足る可し又時日切迫して法を議するに暇なしとは政府

の言ふ可き言にあらず凡そ政務に緩急の別にあり今ブールス法の如き其存廢を以て直接に

は相塲所關係の商人等に大利害を及ぼし間接には商賣社會全體の盛衰にも影響する此法律

の存廢を議するに政府の官吏に餘暇なしと稱して差置かんとするが如き國事を司どる義務

に於て相濟まざることならん或は又既發の勅令を其まゝにして一方に舊相塲所を何となく

延期するは其内實に於て舊相塲所に多少の改正を加へて永く持續せしむる精神なれどもブ

ールス法の得失尚ほ未だ判然せざるが故に篤と取調べていよいよ進退を决するならんとの

説あれども是亦説として聞くに足らざるものゝ如しブールス條例の發したるは明治二十年

五月のことにして爾來三箇年の今日に至るまで之を行はんとして行ふ可らざるは日本内地

の實業社會に於て既に明白なるに尚ほ其上にも念の爲め歐米諸國の實際を取調べんとて特

に官民の人を派出して探索視察を盡したれ共各國大同小異相塲所は相塲所にして之を日本

の相塲所に比較し塲所の名を異にし、商人の貧富を異にし、商賣高の多少を異にすと雖も

事業の働に於ては毫も相違する所なしとのことなれば更に此上に何事を取調ぶ可きや三年

の久しき内外の事情を視察し盡して尚ほ决することを爲さず既發の條例を半空に懸けて人

心を迷惑せしめ商業の大利害を度外視して顧みざるが如き我輩その理由の所在を見ざるの

みならず之れが口實を作らんとするも其工風に窮する者なり

左ればブールス法は到底行ふ可らざるものとして斷然これを廢止して更に現在の相塲所に

就き規則等の不完全なるものあらば徐々に改正を施して然る可きなれども商業日新の今日

に於ては公債證書諸株式米穀の外に定期賣買の道を開く可きもの少なからず例へば絹絲な

り鹽なり油なり綿なり何れも相塲所の賣買に掛るものとして其塲所を設立する毎に條例を

作るも煩はしければ一定の條例の下に之を支配すること要用なるが如し此要點より觀察す

るときは二十年五月發布の取引所條例に少しく改正を加ふるか又は之に補則を附して從前

の株式組織なる相塲所をば大に變動することなくして新に興る可きものを支配するの工風

甚だ容易なる可し彼の取引所條例とて其細則を見ればこそ實際に不便利多けれども條例の

本文は簡單にして唯僅に改正を施す可きのみ之を喩へば條例の本文は春秋の經の如くにし

て細則は傳の如し同一の春秋に左氏公羊穀梁の傳ありて各その解を異にし文を異にするが

如く今の取引所條例の左傳なる細則を全廢して之に易るに公羊傳なり穀梁傳なり農商務省

の所見に從て新細則を作り其向きの商人と相談して之を施行せんには本條例を廢するにも

及ばず僅に改正を加ふるか又は簡單なる補則を附して商業實際の便利に缺くことなきを得

べし政府の内に如何なる差支あるも如何なる情實あるも其差支情實は政府部内に止まりて

日本國の事にあらず商業の便不便は國民の國事なり一部の事情に制せられて大切なる商業

の不便利を度外に置くが如きは固より政治の事にあらざれば我輩はブールス法の存廢に就

き一日も猶豫せずして斷然の處分あらんことを勸告する者なり