「尚商立國論」
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時事新報に掲載された「尚商立國論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官尊民卑の陋習を存する限りは商賣の發達得て望む可らずとの大意は前節に記したれども、今又その緒に續て
〓〓〓〓〓に、彼の汽船汽車の下等客たる官吏が、公用に當り又は交際社會に入るときは、忽ち上等客の上に位
して傲然たるが如き、今日の事實談にして、郷黨朋友冠婚葬祭の私席に於ても、官吏とあれば自然に重きを爲し
て他の上流に就き、等しく何百圓の月給なる人物にても、官に奉職する者は之を貴顯と稱し、野に居る者は商人
として、上下の分を紊ることなく、財産の厚薄は以て人を輕重するに足らざるのみか、甚だし今は不學無術なる
官吏輩が、在野の學者士君子に交り、其貴顯の故を以て學者の上流に就かんとする者さへなきに非ず。左れば人
間の智德學識も年齡財産も、官途に對しては榮譽の要素たるを得ず。天下の榮譽は擧げて政府の專有に歸し、敢
て之を爭ふものなき其有樣は、尚武にあらず、尚商にあらず、正に是れ商〔尚〕政の時代と云ふも不可なきが如し。國
民全般の氣風既に斯の如くなる尚ほ其上に、政府の成規慣行に於て尚ほ此勢を助るものあり。諸官廳に出入する
に、上車下車の場所又は昇降の口に奏任以上以下の區別あれば、平民は以下の又その以下たらざるを得ず。又言
語文書の用法に於て、官の筋より人民に接するに驕傲を極め、怒るが如く、叱るが如く、無情殺風景に放言すれ
ば、人民より官に對するには卑下のあらん限りを盡し、恐るゝが如く、拜むが如く、泣か如く、媚るが如く、其
醜殆んど見るに忍びざるもの多し。又文明の西洋諸國に例なくして日本國に固有なるは、官吏に位階を授るの一
事にして、是れも唯官吏社會中の等級を分つが爲めなれば左まで差支もなきことなれども、實際は夫れのみに非
ず、恰も人身に一種の記章を附して、平民と官吏との間に尊卑を殊にし、有位の者なれば法廷などに事あるとき
執事にて相濟む處も、無位の人民なれば巨萬の資産ある豪農商にても自身にて出頭せざるを得ず。人權に影響す
ること之より大なるはなし。或は平民にても獻金などしたるが爲め何位を授けられたる者なきにあらざれども、
何萬の大金を出して得たる其何位は、寒貧書生が數年の仕官に由て得たる位より低きもの多し。此一事を見ても
殖産社會の勉強は榮譽の點に於て官途の働に及ばざること遠きを知る可し。商賣艱難の世の中に居て生涯に何萬
圓の金を作り出すは實に容易ならざる業にして、一圓一錢も皆是れ自身の辛勞にあらざれば祖先の遺物なる其金
圓の代りに得たる位階は、小官吏數年の奉職に得べきものなり。一句これを評すれば、中人十家の産を空ふして
買得たり一小官吏の榮と云ふも可なり。又華族なる者は其歷史上、一種特別の家柄にして、畢竟封建制度の殘物
なれども、國運變遷の際には自から其用なきに非ず。瑕令へ不生産的の者なるも、之を社會の上流に置て至當の
榮譽を保たしむるは異議なしと雖も、此一類が人民に對して人權を殊にするが如きは決してあるまじき事なり。
例へば華族が平民に文通するに、動もすれば家令家扶の名を以てして、主人は恰も其家來をして己が意見命令を
傅へしむるが如くなれば、人民は直に華族と接するを得ず、僅に其家來と同樣の地位に居るの姿にして、人權同
等の旨は既に斷絶したるものと云ふ可し。啻に私交に於て然るのみならず、公共の事務に關して官廳に書を呈す
るなどのとき、無位無爵の人民なれば自から姓名を記す可き處に、華族は令扶の名を以てせしめ、或は人民と連
署するときにも令扶をして相對せしめて通用するが如き、官の目より見ても普通の人民は人として華族に當るを
得ず、其雇人たる令扶と同等なりと認ることならん。衣冠文物の整然として人間社會に秩序を失はざるは文明世
界の美事なれども、之が爲めに人生の至寶たる人權を妨るに至りては、之を輕々に看過す可らず。我輩の宿論に、
新華族の增殖を不利なりとするも、人權を妨るの區域を廣くすること勿らんが爲めのみ。今の新華族諸氏も其個
々に就て語れば都て聶落の君子にして、他人の私權を妨るが如き最も悦ばざる所なれども、扨これを集めて一體
と爲すときは、俗世界の俗榮に戀々して之を脱すること能はず、或は自から之を欲せざるも、同胞朋友の俗榮に
得々たるを見て、獨り其後に就くは快ならずなど云ふ者あれども、我輩の所見は然らず。方今の新華族其他貴顯
*一行読めず*
以來の遺傅に發するものなり。其趣を喩へて云へば、洋犬の子が動もすれば疊の上に上り、和犬の子は上に飼は
んとするも常に地に下るが如し。左れば彼の洋犬の子たる新舊華族を始めとして、所謂官途の貴顯なる者が、日
本社會の上流に位して、私に公に人民に對して人權を殊にしてあらん限りは、農工商は依然たる舊時の百姓町人
にして一種下等の賤民なれば、賤民の行ふ事柄も亦自から賤しからざるを得ず。卽ち日本の商業の賤しき所以に
して、斯る賤業に依賴して國を立てんとするは固より望の外にして、等しく日本國民にてありながら、其一部分
の者共が遙に上位に居て下界の商業の發達を望むは、是れぞ所謂木に掾て魚を求るの類なる可し。
〔八月二十八日〕