「尚商立國論」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「尚商立國論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

今の官途は封建武士の集合に非ず。瑕令へ其遺傅の餘勢を以て虛威を悅ぶの情あるも、下民を虐遇する者にあ

らず。況んや文明の風潮は人權の不平均を許さず、官途社會にも往々虛を去り實に就き官民平等の議論もなきに

非ざれば、人民にして苟も自から其地位を知り、自尊自重の大義を辨じて獨立を守るに於ては、商業社會は自然

に面目を改め、官尊民卑の積弊も次第に除去して、眞成に日本商人を生ずるの日もある可しと雖も、此事は今日

の實際に於て最も望む可らざるものゝ如し。全國無數の富豪大家、稀には卓識高尚の人物なきにあらざれども、

其多數を平均するときは都て無氣力なる平民にして、祖先の遺産に衣食する者にあらざれば自から家を興したる

者にして、畢生の心事は唯錢に在るのみ。扨その錢を得たる上にて何事に志すやと云へば、更に又錢を求るの法

を工風するのみにして、僅に自身肉體の慾を滿足せしむるの外に精神以上の快樂を知らず、美衣美食、自から奉

じて、家屋庭園、以て豪奢を示し、書畫骨董の珍奇、自から玩味するの文思風致なしと雖も、之を買ふて所藏す

るは錢の多きを人を誇るが爲めのみ。甚だしきは其美衣美食さへも外見の裝飾にして、竊に内部を窺へば巨萬の

富にして家人の飮食を節し、其節減の度は衞生の要點以下に下る者なきに非ず。畢竟金錢の外に心事の馳するこ

となく、書を讀まず理を講ぜず、歷史の由來を知らず、社會の沿革を辨ぜず、唯自身自家あるを知りて戸外萬般

の關係を知らず、之を要するに心の調子の頗る低きものにして、其低き趣を評せんに、士族の流が無錢にして不

釣合に氣位の高きほど、富豪家の方は有錢にして不釣合に氣位の卑しき者と云ふ可き程の次第なれば、商業社會

全體の利害榮辱等の談に至りては迚も容易に會心す可きに非ず。或は維新以來新進の商人を生じて之を紳商など

稱し、其中には隨分氣力の慥なる人物もなきに非ざれども、既に商人と爲れば尋常一樣商家の風に傚はざるを得

ず。俗に云ふ多勢に無勢、血に交はれば赤くなるの諺に洩れず、自家高尚の特色を以て商賣社會全體の氣風を引

立ることは叶はずして、己が心身も亦共に卑屈に陷らざるはなし。偶ま此輩が他に向て誇る所は、政府の貴顯に

容れられて之に近づくの道ありと云ふに過ぎず。獨立自尊の境界を去ること遠しと云ふ可し。又或は富豪の種族

にして政治に志し、心志高尚に似たる者あれども、其志を立ると同時に自家を忘るゝのみならず、人民社會の利

害を餘處にして唯一身の青雲を謀り、昨日まで官途の人に輕侮せられたる其返報に、今度は己が身を政治社會に

進めて人を輕侮せんとの企望あるのみなれば、人民の社會より見れば年來の仲間を脱走したる者にして毫も依賴

するに足らず。古來錦を衣にして故郷に歸りたる者は多しと雖も、其錦は唯その本人の榮譽にして、故郷の人民

が之が爲めに地位を高めたるを聞かず。唯是れ一種の脱走人のみ。今の富豪輩が政治に志すと云ふも、或は此脱

走人を學ぶに非ずやと我輩の疑を存する所なり。啻に富豪者のみに非ず、博識多才氣力充滿と稱する學者流の人

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓しながら、其人民の地位に安んじて自家全體の面目を〓ることを知らず、老成の先

生にして何等の工風もなく、空しく官途の俗榮を榮として身を終る者多く、後進活潑の士にして志す所は唯官途

の一方あるのみ。甚だしきは學者が書を著はして序文題字等を貴顯に求る者あり。全體この著者は文事上に於て

眞に今の貴顯等を欽慕するの念あるか、左りとは人を見ること明ならずして、自から不文を表するに足る可きの

み。或は俗世界を瞞着して著書を賣るの方便なりとて貴顯の名を商賣上に利用するものか、斯の如きは卽ち自か

ら欺き人を欺き兼て又その貴顯を私利の爲めに玩弄する者と云ふ可し。何れにしても身を重んずる君子の事に非

ずして、學者社會の醜體と評するも可なり。

以上陳述する如く、人民社會の、下は所謂古風の町人百姓より、進で近來の紳商に及び、尚ほ進で高尚と稱す

る學者士君子の流に至るまでも、自尊自重の大義を解する者は甚だ乏しく、一身の立身出世に志す者はあれども、

其身を托する人民社會全體の榮辱を知らず、官尊民卑を天然の分として安んずるの有樣なれば、假令へ政府の方

に於て平等の旨を重んじ、度量を寛大にして人民の自尊を許さんとするも、其旨を解する者少なし。近來人民の

自治など稱して、既に其法律を實施したるにも拘らず、人民社會は依然たる舊時の賤民にして曾て面目を改めず、

誠に當惑の次第にして、其趣は日本犬の子を疊の上に飼はんとして何分にも落付かざるものゝ如し。強ひて其地

に下るを禁ぜんとするには之を打つの外なし。人民に尊重の地位を與へんとして之を取らざれば叱咤すと云ふも

隨分奇談にして、其叱咤中既に尊重の精神は斷絶することなれば、犬の子を御するには兎も角もなれども、人事

には行ふ可らず。商業社會の改進獨立、亦難しと云ふ可し。             〔八月二十九日〕