「官民大懇親會を開く可し」
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時事新報に掲載された「官民大懇親會を開く可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官民大懇親會を開く可し
政府が國會に對するの方略は先づ其部内の主義を一定し外に對して大膽政略を執る可しとは兼て我輩の宿論にして屡ば紙上に論述したる所なれども國會の開設は既に三箇月の後に迫りたる今日に至り政府は唯頻りに諸種の法律を發し議場言論の整理に注意するものゝ如くにして未だ大に斷ずる所あるを聞かず又一方に民間の政治社會は如何なる有樣なりやと云ふに昨今世上に進歩黨合同の談ありて其説を聞くに苟も主義を進歩に執るものは從來の歴史と感情の如何を問はず悉く合同して一大政黨を組成し目指す敵に向ふ可しと云ふに在るが如し而して其目指す敵とは何者なりと問ふに議場に於て政府と相對するを云ふものゝ如し又目下計畫中なる獨立黨の目的は如何と云ふにその聲言する所にては政黨外の者を團結して別に爲す所あらんとするものゝ如くなれども人を集るに今の政府に縁故ありと稱せらるゝ者を嫌ふの迹あるを見れば是れも亦多少政府に反對の意味あるが如し左れば今の民間の政治社會を見渡したる處にて他日國會の議場に於て政府の味方を爲す可しと思はるゝものは甚だ少なく一般の氣風は政府と反對の方向に在るものと云ふも可なり而して近時政社法の嚴行に次で會計補足の發布の如きは幾分か民間政黨の感情を損したるに相違なければ若しも此有樣にして次第に押進み愈々國會開場の曉に議場に於て卒然相見るに至らば其間の關係は如何ある可きや一方は議場の言論の奔逸あらんことを杞憂して頻りに之を檢束せんと欲し一方は一種の感情を帶びて政府の處置とあれば一も二もなく只管これに反對せんとすることもあらば世人が待に待たる第一期の國會も案外に妙ならずして其結果は國家安泰の前途に容易ならざる影響を及ぼすにも至る可し今より其成行を默考するときは實に氣遣はしと云はざるを得ず然らば即ち今の時に當り差當り此第一期の國會をして無難に經過せしむるの方論は如何と云ふに我輩の所見を以てすれば先づ在朝在野の政治家の間に大に私交の道を開くに在る可しと信ずるなり蓋し雙々互に相反する思想を抱きたるものが卒然儀式張りたる議場に相對して言論を鬪はすときは其の所管自から理に落ちて圭角を生じ或は兼てより雙方の間に釀したる一種の感情も端なく破裂す可きが故に今より之を避るの工風大切なればなり抑も官と云ひ民と云ふも均しく是れ日本國民にして國家を思ふの情に於ては相違ある可らず唯其身の地位の異なるより政治上の所見を殊にし年來の行掛りにて今日の有樣となりたる迄の事なれば若しも互に打解けて其心事を語るに及べば一夕の懇談に互に大に悟る所のものある可し彼の自由派の各黨と改新黨の如きは政治上における主義目的の格別相異する所なきにも拘らず年來互に呉越の思を爲して其間の關係は仇敵に啻ならざりしに時節到來とは云ひながら今回の合同談に忽ち打解けて年來の感情をば共に之を一夢に付し去りたるは何ぞや兩派確執の素因は政治上所見の異同よりして遂に私の情を害するに至りしものなれば一旦の機に會し雙方互いに少しく相讓るときは宿怨を忘るゝこと難からざるの明證なり今の官民の間柄も之と同樣にして其分離の發端は共に政治上の所見に在ることなれば之を和らぐること決して難きにあらず例へば民間の政黨員が政務の調査に從事して政府には云々の不都合ありと認めたる者が一旦その當局者に面會して親しく事情成行を聞けば強ち不都合のみならざるを發見する事もあらん又民間の政論家と云へば一概に過激粗暴、事を好む輩のみとて之を擯斥したる政府當局の人々も近く其政論家の風采に接して細かに其所論を聞けば案外に釋當の人物にして才能の尋常ならざるに感服する事もあらん何れにしても官民私交の道を開きて其間の緩和融暢を謀るは目下の急なれば其當局者が銘々この邊に注意す可きは勿論なれども先づ其手始めとして今の内閣の諸大臣及び民間撰出議員中の重立たる者が發起となり昨今各議員に出京者の多きを幸ひ一大懇親會を催ほして茲に官民私交の端を開くなどは最も妙ならんか左ればとて人各々主義所見なきにあらず己れを曲て人に從ひ強て事の圓滑を謀るが如きは我輩の固より感服せざる所にして殊に堂々たる一國の政務を議する國會の議事に此事あるは最も望まざる所なれども唯區々たる感情と行違ひより主ずる所の猜忌の念を消し國家の安寧の爲めに初度の國會の本領を全うせしむるは今日に當りて官民在野官民の政治當局者に勸告する者なり
誤字 一昨日の本欄第三行中二萬とあるは三萬の誤植