「壯士を如何せん」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「壯士を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

壯士を如何せん

近來我政治社會に持て餘して困却する所のものは壯士なり抑も此壯士は何れの邊より出現する者なるやと云ふに多くは舊藩士族の子弟か平民にても學校の教育に由て士化したる者ならん、身に多少の知見を得たれども身を養ふに恒の産なく心事と生計と不釣合にして所謂知字の憂患に苦しめられ世間政治論の喧しきに乘じて其鬱憂を散するの道を求め時としては腕力暴行の沙汰に及ぶ其有様は今を去ること二十餘年王政維新の前に浪人と稱する者が暴行を逞ふし御殿山の外國公使館を燒き足利尊氏の木像を斬るなど無益の擧動して世を騷がじたるものに彷彿たり治安を重んずる時の政治の爲めには一種の難物と云ふ可し二十餘年前の浪人は幸にして維新の事變ありしが爲め其始末も難からず或は當時の浪人にして今日の紳顯たる者もあらん誠に好き都合なれども今の日本は幕末の日本にあらず壯士の爲めに謀りて前途の望甚だ乏しきが如し我輩は數年前より教育の利害に注目し行政の政府が自から學校を開業し又は地方に奬勵して高尚の學校を開かしめ國民の資力如何に拘はらず驅て之を教育の門に入らしむるは經世の得策にあらず、一方に國庫の金を費し又民費を促して人の子を教えながら其子は却て自身を憂患に陷れて隨て政治社會の累を爲す可し、早く其邊の注意なかる可らずとて幾回か痛論せしこともあれども教育得意の當路者は之に耳を傾けず駸々進歩して前後を顧みざるこそ遺憾なれ即ち昨今持て餘したる壯士の出現に就き種々原因はある可けれども教育過度の弊も亦其原因中の一なる可し然りと雖も事既に過去に屬すれば今更これを云ふも益なし唯目下の要は目下の安寧を維持するに在るのみ國會の開期も近々に迫りたる今日このまゝに差置きたらんには各地方無數の血氣輩は續々府下に群集して樣々の政論又競爭に際し假令へ=(ルビはつ)惡に及ばざるも如何なる無益の戲を以て人の耳目を驚かすが如き掛念なしと云ふ可らず尊氏の木像を斬る固より殺人犯にあらざれども其人心を擾攪すること大なるが如し治安の妨と云はざるを得ず左れば此種の妨害を防がんとして保安條例を利用するの説もあれ共斯くまで目出度き初度の國會を開くに保安條例を用ひたりとありては天下後世に=して面目なきのみならず假令へ之に由て府下を一掃す==も壯士の種子を盡したるに非ず府を去れば地方に散じ顯顯出没却て禍を廣くするに===きのみ依て竊に一策を案ずるに凡そ治國策に内の密議を=するが爲め其氣焔を外に洩らすことあり即ち外戰侵略の如き是なれども閾交際に理由もなくて漫に他國と爭端を開く可きにもあらざれば外戰の策は今日の事に非ずとして針路を平和の方向に取り北海道又は外國へ移住の企は自から壯士の心事を一轉するに足る可しと我輩の竊に見る所なり北海道に遺利あるは今更ら云ふまでもなく殊に近年は鐵道も漸く開通して海産物の外に礦山の起業、田野牧畜の事業もあり加ふるに上川郡忠別地方には離宮の計畫さへあらせらるゝ程の時勢にてありながら人口は僅に三十四五萬に過ぎず事多くして人少なきは爭ふ可らざる事實なれば壯士等の爲めには屈強の塲所柄にして唯忍耐の勇氣さへあれば功名手に唾して取る可きもの少なからず或は北地の移住を以て足らざれば北米合衆國、英領カナダ、ブラジル、メキシコ、又或は方向を轉じて南洋諸嶋濠洲 の邊を目指し或は移住し或は通商を企るも亦妙ならん都て是等の起業は一個人の資力を以て足る可らず假令へ資力あればとて容易に企つ可き事にあらざれば政府にて臨時の方法を設けて公けに之を促すか又は方寸の計略を以て竊に之を奬勵するか何れにても差向き必要なるは資金なるが故に其金策專一なる可し人或は其金策に苦しみ斯る策略に國庫の金は費す可らずなど云ふ者もあらんなれども方今我國の一大困難は人口増加の事にして此困難を救ふが爲めには國庫の負擔も辭するに遑なし况んや壯士の始末は人口論を外にしても目下政治上の急要あるに於てをや之が爲めに多少の金は愛しむに足らず且この金の運命を卜するに永久消えて痕なきものにあらず遠近の地に移住營業する其中には數年を經て更に大に本國を利することもある可ければ人口沙汰の點より見ても壯士の始末方より論するも内の困難を救ふの道は其氣焔を外に洩らすの一法あるのみと我輩は竊に信じて敢て當局者に勸告を試る者なり