「 重ねて土耳其遭難者の送還に付き 」
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時事新報に掲載された「 重ねて土耳其遭難者の送還に付き 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
重ねて土耳其遭難者の送還に付き
土耳其軍艦の遭難者六十餘名を本國に送還するに付き或は露國の軍艦が其事に當らんとの風聞を傳へてより忽ち世上の一問題と爲り之を非とする者の説に云く今回オスマン パシヤ の一行は日本の國賓なるが故に厚く之を待遇して遺憾なきを要す、逝く者は追ふ可らずと雖もせめては其生き殘りたる者に對して盡す所なかる可らず、負傷者への施療等は其用意既に十分なりと雖も我國に軍艦の備あるこそ幸なれ特に之を仕立てゝ護送の用に供し以て我日本國が外國に對する禮意の厚を示し又一には我海軍をして遠洋航海の事に慣れしむるの利益も少なからず左れば費用の點に立入りても單に國禮の爲めのみに航海費を費すに非ず斯る機會に由りて遠洋航海を試るものなりとすれば費用論は論ずるに足らず兎にも角にも事情の許す限りは我國人の厚意を表す可し云々とて我輩も固より之に同意する者なり然るに爰に反對の一説あり云く今回遭難の一行は我國賓たるに相違なしと雖も禮遇にも自から際限なかる可らず悲報の東京に達するや直に軍艦八重山を實地に派し宮内省よりは特に侍醫式部官を差遣され遭難負傷の者へは夫れ夫れ厚き手當を施し其塲所の地方官も特別に注意して救助に怠らざりしことなれば我好意は最早や澤山なり此以上の事は各國の交際に例なし且土耳其は條約外の國にてもあり若しも今度の一事に限り非常特別の取扱を爲したらんには一例を後に遺すの姿にて今後同盟諸國の軍艦が日本近海に難に遭ふこともあらば幾回か先例に倣ふて事を處せざる可らず到底實際に行はる可き事にあらず即ち今日まで土耳其人に仕向けたる所は禮遇の頂上なれば此上は其生き殘りたる者が何れの船に乘るも我日本國の關り知る所に非ず全體日本人は鎖國より出でゝ俄に開國に走りたる者なるが故に國交際の要を知らず唯外國關係の事とさへ云へば漫に騒ぎ立ち前後の勘辨もなく實際に行ふ可らざる事を行はんとして無益の空論に熱するこそ氣の毒なれとて至極冷淡なるが如くなれども我輩の所見を以てすれば之に感服するを得ず反對論者の云ふ今日に至るまでの禮遇既に盡したりとは何を標準にして立言したるものか、禮遇既に盡したりと云ふも未だ盡さずと云ふも人々の思ひ思ひなれば是れは畢竟水掛論とするも各國の交際に先例を見ず今度に限りて非常の取扱するときは後日の例と爲りて事實に行ふ可らずと云ふに至りては殆んど其意味を解す可らず世界廣く萬國多しと雖も條約未決の國の軍艦が某國に使臣を載せて來り歸路その國の近海に覆沒したるときの處分は云々とて適例を見出すことは固より難かる可し或は先例は殆んど皆無と云ふも可ならん左れば論者は無き先例を無しと云ふまでにして假令へこれなしと云ふも現に起りたる事變を處する爲めには何等の參考又證左にもならざる可し又今度特禮の事例を遺すときは自今同盟國の使臣を載せたる軍艦に變を生したるとき其處分に困るとは如何なる事變を期して發言したるものか開國三十餘年來今日に至るまで唯の一度も斯る變ありしを聞かず好しや論者の豫想を實にして百年に一度も不幸あるとせんか、假令へこれあるも英佛獨米その他の各國は我海港に現在する軍艦商船もあり陸には公使館領事館もあり萬々一の塲合に今回土耳其軍艦に似たる大變あるも遭難者を本國に護送する爲め日本の軍艦を煩はすには及はざる可し論者の心配は之を評して過慮と云ふの外なし又日本人は外交に不案内にして漫に熱心とは少しく失言なるが如し國の異同を問はず人の大不幸を見聞して同情相憐むは何處も同じ人情にして言不祥に屬すれども萬々一も我軍艦が諸外國の近海にて今回同樣の不幸に逢ふこともあらば外國人の感動は如何ばかりなる可きや畝傍艦覆沒の折も英國の軍艦は特に捜索の労を執りたりと云ふ現に今度の事變にも獨逸の軍艦は直ちに實地に赴き遭難者を救ふたるにあらずや縁もなき他國の軍艦が使臣を載せて他國に來り其他國の近海に覆沒したりと聞いて取るものも取り敢へず其塲に出渡りたり論者は之を評して熱心に過ぐると云ふか、英獨の人は外交に不案内なるが故に益もなき事に周章奔走すと云ふか、論者も必ず其然らざるを會心することならん然らば則ち今土耳其人に對しては正に主人の地位に居る日本國人が熱心して哀悼の情を表し禮遇の如何に心配するも何ぞ之を咎るの理あらんや日本人は外交に不案内なるに非ず寧ろ外交に慣れて世界的の思想を生じたる者なりと云はざるを得ず抑も今回の事は土耳其の軍艦より生じたりと雖も其事の始末に由りて影響する所は單に日本と土耳其と兩國間の交際に止まらず日本國人の感情と其論を表する實際の處分とは世界中の談柄と爲りて自から我國光の明暗に關すること少々ならず苟も外交の利害に注目する人は自問自答して心に發明する所のものある可し