「國會議員の服裝」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國會議員の服裝」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國會議員の服裝

國會議員に當然の務は議塲の議事にして議會の開塲も既に切迫したる今日に於ては豫め政務の調査に從事すること其事頗る多端なる可く又其姓名を政黨の名簿に留むる人々に至りては目下政界多事にして政黨の組織又は分合談の喧しき折柄、一身の主義方向を定めて自黨の爲めに周旋奔走するなど凡そ議員の任に在るものは此際に當りて其心配苦勞も少なからざる事ならんなれども今その公に對する務を外にし一身の私事に就ても亦多少の心勞なきこと能はず第一議員の服裝の如き其事甚だ些末なるが如くなれども銘々の私に就て考ふるときは大に思慮を要す可きものあり世間の説に議員の服装は悉く之を一樣にして議塲の體裁を整一ならしむ可しなど云ふものあり成程服裝を一樣にして議塲の體裁を繕ひ日本國會の外觀をして西洋諸國の議會と同樣ならしむるは我輩とても敢て好まざるにあらざれども顧みて日本社會の現状を見るときは其事の中々容易ならざるを如何せん今の議員中には西洋に遊びたる者もあり又は平生より交際の事に慣れたる者も少なからず是等の人々には服裝の事など既に習慣を成して特に意に介するに足らざれども衆議院議員三百名多額納税貴族院議員四十餘名の人々は必ずしも所謂當世の交際家のみに非ず生來地方の田園に卜居して只管家業を勉むるに忙はしく曾て服裝の事などには無頓着なる向も多からんことなるに今其人に向て是非とも服裝を一定せよと云はゞ迷惑は此上もある可らず着慣れぬ衣服に身體の窮屈を感ずる其窮屈は暫く忍ぶ可しとするも既に衣服の一點に於て改まる所あるときは之に伴ふものあるを免れずして馬車も入用なれば邸宅も亦入用なりなど種々雜多の入用を惹起して隨て徒に費用の嵩むを致し顧みて田園業を勉むるの當日を思へば大に初志に負くの憾あるに至る可し夫れも愈よ斯る所爲に出でざれば議塲に列すること相叶はずとの儀ならば致方なしと雖も議會は元來議員たる者が自由に國事を議する處にして單に表面の儀式のみを行ふの塲所にあらざれば其表面の體裁の爲めに斯る無數の不便を冐して強いて服裝を一定するの必要も萬々なかる可し且又服裝を一定す可しとの理由は議員が種々樣々なる不揃の服を着して儀場に列席するときは其體裁、佳ならずと云ふに在ることなれども抑も今の日本社會の有樣を見るに服裝の一事に就て云へば男子は多く洋服を着し女子は重もに日本服を着する其間にも亦種々異樣の服裝を爲すもの多くして其不揃は此上なけれども目これに慣るゝときは見て以て尋常の事となして少しも怪しむものなし蓋し揃と云ひ不揃と云ふは本來關係の詞にして絶對の比較にあらざるが故に其實體は種々樣々にして不揃なるも衆目これを見て以て怪しまざれば之を揃ふと云ふも可なり例へば袴羽織に西洋舶來の帽子を戴くは一身を裝ふに和洋二種の物を以てして甚だ不揃なれども世に之を怪しむ者なきは其不揃を以て揃ふたりと認め既に其習慣を成したるが故なり故に日本士人の會合に甲は洋服し乙は和服し洋和不揃なるが如くなれども社會の見る所を以て揃ふたりとすれば毫も怪しむに足らず強て之を一樣にせんとするは社會の現状に對照して却て不揃の實を現はすものと云はざるを得ず誠に無益の沙汰にして我輩の贊成すること能はざる所なり左れば議員が議塲に出づるにフロツクコートなど無理に窮屈なるものを着るに及ばず苟も禮節を欠かざる限りは銘々着慣れたる勝手の服を服し區々たる事に彼れ是れと思慮を勞することを止め其奔分の職務に就て専ら盡す所ある可きなり而して是事に就て更に一の所望ありと云ふは外ならず從來官臭を帯びたる交際待遇の法にては兎角服裝に依りて人を區別するの風を成し靴の外昇降を許さずの掲示などは常に見る所にして宴會の招待状に燕尾服フロツクコートと注文を記すなども往々見る所なれども服裝に由て人の待遇方を區別するは今の日本社會には甚だ不通の談にして殊に議員の服裝を勝手次第と定むる上は斯る普通の風習は速に廢せざる可らず即ち議會の内外に論なく議員たるものは其服裝の如何に拘らず總て其待遇法を同一樣すること肝要なる可し斯の如くにして服裝勝手の實も始めて行はる可きか、我輩は議員に就き其外面の服裝を揃へんよりも其内部の心事を揃へて議塲の靜肅ならんことを祈る者なり