「小學校令」
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時事新報に掲載された「小學校令」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
小學校令
小學校令は勅令第二百十五號を以て公布せられたり之を舊小學校令に比するに舊令は僅に十六條に過ぎざれども新令は前後通じて九十六條より成立ち煩簡詳略、同日の談にあらず蓋し彼は特に其大綱を示すに止まり是は一より百に至るまで大小首尾ともに完全を要したるよりして斯る相違を見ることならん而して其精神に於ては彼是の相違は單に煩簡の差のみならずして大に注意を要す可きものあり舊令には學校の經費を支辨するに専ら授業料を以てし父母後見人は其授業料を支出す可きものとして即ち兒童の教育も其他の需用物と均しく錢を以て買はしむるの趣意なりしに新令は此點に於て全く精神を異にして學校に關する經費は専ら市町村又は其組合等の負擔となし町村に於て負擔に堪へざるときは郡費を以て之を補助し(市は府縣より補助す)郡の資力足らざるときは府縣費より之れを補助する事となし兒童の教育費を以て一般國民の負擔と爲すの基礎を定めたるは即ち所謂國家教育の主義にして令の精神の全く相反するを見る可し既に其精神を異にして又其煩簡を異にするが故に新舊、條を逐ふて比較す可きにあらざれども新令中に就て二三の著るしきものを擧れば授業料は物品もしくは勞力を以て代ふる事を許し(舊令には授業料免除の項なくして新令には全額又は一部を免除するの條あり是れ又新舊の精神相違の點として見る可し)又教員の給料の幾分は土地の使用又は物品を以て換給することゝ爲したる如き郡に郡〓〓一名を置き郡内の教育事務を監督せしむる如き又市町村もしくは其區に學務委員を置き其委員中に教員を加へたるが如きこれも新令に出色の項にして從來の經驗又は今後の必要に出でたるものならん其利害便否の如何は他日實施上の結果を待て之を知る可きのみ抑も教育の問題に就ては我輩年來の宿論もありて随時意見を開陳したる事も少なからず今回既發の成法に對しては今更云々するも無益に似たれば委細の論評は他日の結果を見たる上の事として扨この際に臨み一言以て當局者の注意を促し置かんとするは餘の儀にあらず我國の小學校教育は明治五年學制の頒布以來今日に至るまで其變更頻りにして長きは五六年短きは一二年にして一變するを常とするが如し尤も初年の間は所謂經驗の時代にして一度行ひたる法にても一朝其不都合を悟れば忽に之を廢して更に新法を布くなど其時代には免れざる所なれども今日に至りては諸制度も頗る備はり社會の秩序も整ひたれば一片の法令を廢置するにも其影響は中々容易ならず即ち改良の時代にしても若しも既發の法令に於て不都合の點もあらんか立法者は唯その不都合の點を改めて其復正歸良を勉む可きのみ殊に教育制度の如きは他の法律規則と違ひ兒童の發育及び人民の生活上に直接して關係の極めて大なるものなれば其廢置變更は最も謹まざる可らず蓋し當局者の身となりては善きが上にも善きを望むの人情として從來のものを見れば是も不完全なり彼も不十分なりとて其十分完全と認むる所のものを行はんが爲めに變更を企づる事ならんなれども地位一轉次の當局者より見れば其十分完全なるものも亦不十分不完全たるを免れず斯くて當局者の更迭毎に次第に變更を企て各々其最良を期する事ならんと雖も一國には自ら一國の事情ありて如何に完全の制度と雖も此事情に適せざれば行はる可らざるは勿論、〓ば〓ば變更を企てゝ常に其結果の妙ならざりしは既往の例に照らしても明白なれば政府に於ては何卒今度の變更を以ていよいよ今度限り最後の大變更となし今後もしも改良の必要を感ずることもあらば群に國内の事情を考へたる上にて少々づゝ改むる事となし苟めにも輕卒の擧動なきこそ願はしけれ幸にして今年以後は毎年國會の開設もあり又は其他の方便に由りて國の事情を知るの便利なきにあらざれば總ての改良は時の必要に依る可きものと覺悟し當局者一人の意見次第にて全國の教育制度に〓ば變更を見るが如き事なからん事を希望するものなり