「帝國議會召集の詔勅」
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時事新報に掲載された「帝國議會召集の詔勅」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
帝國議會召集の詔勅
朕帝國憲法第七條及第四十一條に依り本年十一月二十五日を以て帝國議會を東京に召集す」との詔勅は我輩が讀者諸君と興に本日の本紙官報欄内に於て拝讀する所なり即ち我日本を始めとして東洋の諸國に前古未曾有の國會は愈々今後四十餘日にして其開設を見るに至る可し思ふに全國人民の感情は果して如何ある可きや熟ら熟ら案ずるに代議政治國の先輩とも云ふ可き西洋諸國に於ける國會歴史の事例は多くは清淨潔白のものにあらずして或は君民軋轢の結果を胚胎するものあり或は鮮血の汚痕を印するものもあり其最も無事なりし北米合衆國の如きさへも憲法の制定に就ては非常の紛議あるを免れず今日に至りては年來の經歴と幾多の改良とに依りて漸く完璧を成したれども當初に於ては何れも多少の瑕瑾あるを免れざりしに之に反して我國の立憲制度は西洋諸國に對して甚だ晩出のものたるにも拘らず明治維新以來官民ともに聖意の在る所を奉承し着々其歩を進めて敢て懈ることなく憲法の大典も既に定まり議員撰擧の事も全く終りて茲に恙なく議會召集の詔勅を拜するに至りたるは誠に目出たき次第にして我立憲制度の今日までの成行は之を一國の榮譽として世界萬國に誇稱するも敢て慚色なかる可しと我輩の確信する所なり然りと雖も今日までの成行は云はゞ立憲制度に入るの準備にして愈よ之を實にするは議會開會して憲法を有效ならしむるの後に在り即ち初度の帝國議會は日本全國上下の希望を負ふて立憲制度の實施を實際に試むるものなれば其責任は實に重大なりと云はざるを得ず其議員たるものは孰れも聖明の摘抜を辱なし若しくは人民多數の推撰を受けたる人々なれば負擔の容易ならざるは勿論の事なれども我輩は初度の議會に列す可き議員其人に向ては世界萬國に對する我日本國の名譽の爲めに特に之に重きを置て多を望まざるを得ず偶ま偶ま議會召集の詔勅を拜し議員の榮譽を賀すると共に其人の自重を祈るものなり