「菓子税則改正の嘆願」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「菓子税則改正の嘆願」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

菓子税則改正の嘆願

今の世界は強利弱損の世界にして力強くして世間に押出し聲高くして理窟を言ふ者は假令へ瑣小の利害にても尚ほ能く人耳を聳して苦情の所在を分明にし早晩その所望を滿足することを得べしと雖ども所謂弱き渡世柄とて只管人の愛顧を祈り萬端穏便を旨とする者は大抵の苦情を忍んで言はず愈々切迫して之を言ふも其聲や低く其力や弱くして結局泣き寝入の姿を呈するは毎度有り勝ちの事共なり近來日本全國菓子製造營業者中には現行菓子税則に堪ふ可らざるの箇條ありとて其改正を愁訴する者多く我東京市内にても神田區、京橋區、日本橋區等の菓子商は夫れ夫れ聯合總代を定めて今度税則改正を其筋に嘆願するに至りたりとの事なれども如何なる理由にして改正を望み如何なる事情にして苦情を述ぶるや尋常一般の人々は之に耳を傾けざるのみならず近來世上に流行する政務調査などに從事する人も税法の繁簡、負擔の輕重、凡そ此邊の細事情に就ては漠然意を留めざるものゝ如く扨こそ全國菓子商等の聲も大に世上に反響して人耳を聳さしむるに至らざるならん蓋し現行菓子税則は明治十八年七月より實施せられ爾後五箇年間の經驗にて菓子製造營業者に異常の困難を與へたるは事實誠に然るものゝ如し今全國菓子商は該税則第四條に據りて各種の鑑札料を納め其第八條に據りて製造營業税、卸賣營業税、小賣營業税を納むるに加へて其第十一條に據り菓子製造税として賣上金高百分の五を賦課せらるゝの掟にして負擔の頗る重きが上に納税手續の煩雜なるは掩ふ可らざるの事實なりと云ふ可し即ち税則第十一條に據り製造税を納むるには先づ菓子原料仕入帳と其賣上帳とを備へ仕入諸雜費何程にして賣上代金何程と明細に之を帳簿に記入し此税官吏の求に應じて何時にても之を示し賣上代より仕入高を引去り營業利益何程と一々帳合す可き筈なれども元來菓子の賣上代には種々の附屬物を含み例へば今菓子若干を賣れば同時に菓子箱、竹の皮、若くは紙袋等を附屬せざる可らず而して是等の附屬物には固より課税なき筈なれば菓子は菓子、附屬物は附屬物として一々其勘定を立て帳簿上計算の不都合なきやう日々之を帳合するは固より容易の事に非ず斯くて之が爲め帳簿方を雇へば即ち雇人を增すが故に第八條の營業税を增加せざるを得ず其他納税の爲めに煩雜を極め外部に顯はれざる部分に於て大に費用を要するのみならず更に製造税として賣上金高百分の五(菓子商の利益を賣上金高の一割と見れば製造税は其半額を占め一割五分と見るも尚其三分の一に當れり)を課せらるゝが如き薄資の菓子商輩に取りて非常の重税と云はざるを得ず或は製造税重ければ菓子の直段を高くして消費者に負擔せしむ可しとの説もあらんかなれども菓子の分量直段等は多年仕來りの習慣もありて容易に動かす可らざるが故に製造税が重ければとて菓子代は之と共に昇るを得ずして課税は菓子商の負擔と爲り一方には第八條に據りて營業税を課せられ又一方には製造の重税を課せられ此外鑑札料を納め營業上い於ける所得税等の出費もありて費途多端なるが爲め現行菓子税則實施以來の困難は一方ならず聞く所に據れば右實施後五箇年間に該税則第十一條を犯して罰金刑に處せられたる其金額實に八千九百餘圓に上ると云ふ左れば東京府下にても重立ちたる菓子商五六を除き其他一般の營業者を見れば何れも疲弊困窮して廢業に差迫る者も少なからず他の營業ならんには早く既に轉業して苦境を免る可き筈なれども本來菓子商なる者は多くは年期奉公より仕上げて營業に從事する者にして一種特別の業體なれば俄に他に轉業せんとするも固より意の如くなる能はず是に於てか次第に其手を縮むるものゝ如く明治十八年以下三箇年間は毎年平均六十萬圓内外の菓子製造税ありしに同二十一二十二の二箇年間には平均凡そ四十二萬圓に減じたりと云ふ斯の如く菓子商困難の中より重税を徴収したる處にて國庫に何程の収入ありやと云ふに四十二萬圓に對する徴税費は實に二十八萬圓に上り官吏を派出し帳簿を檢査する等の爲め一半異常を徒費する由、經濟上より論ずるも成る可く徴税費を減すべしと云ふ税法の原則に背くものと云ふ可し左れば當局の人々も十分此邊の細事情を探知し菓子製造税を全廢して四十萬圓内外(徴税費を引き去り政府の手取金は十四五萬圓に過ぎず)の税目を更に他に求むるか或は煩雜なる製造税を廢して其代りに簡單なる營業税の幾割を增加するか兎に角現行菓子税則上に改正を加へて菓子商今日の困難を救ふは當局者の工風を費す可きものならん蓋し彼の菓子商の如きは力強くして世間に押出し聲高くして理窟を言ひ能く平地に波を起さんとするの所存あるものに非ず所謂弱き渡世柄にて只管世人の眷顧を祈り萬端穏便を旨とするものなれば其聲自から低くして人耳を聳かさしむる能はざるものならんと雖ども政治家の極意は此弱力低聲の部分に向て特に情状酌量の工風を密にするに在る可ければ我輩は敢て所聞の一斑を記して當局者の注意を乞ふものなり