「地方官々制改正餘談 其一」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「地方官々制改正餘談 其一」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方官々制改正餘談 其一

從來府縣の知事には勅任のものもあり奏任のものもありて其官等は一定せざりしに今度の新官制にては殘らず勅任と定めたり同じく府縣の知事にして而も其職權も同一なるに獨り官等のみを異にするは理に於て解す可らざるが故に之を一定したるは誠に適當の改正なれども猶ほ此改正の甚だ時宜に適したる他の理由ありと云ふは外ならず帝國議會の開設に付ては過般各府縣下にて農工商の多額納税者中より互撰を以て貴族院議員に出身したる者あり其人々は何れも地方屈指の富豪家にして資産徳望こそ天晴の紳士なれども社會年來の習慣として民間の者は如何なる富豪家にても官に對すれば忽ち顔色なく是種の人々が府縣の知事に於けるは即ち百姓町人の殿樣に於けるものにして尊卑懸隔の舊觀を失はず然るに今この百姓町人等が貴族院議員に撰まれたり貴族院の議員は取も直さず勅任の身分にして從來殿樣の地位に在りし知事は却て奏任のものもありと云ふ、事の釣合を缺くに似たり官尊民卑の弊習は我輩の擯斥して措かざる所なれども社會の事は總て釣合を要するものにして知事が殿樣を氣取りて他を百姓町人視するは固より不可なれども其百姓町人視せられたるものが俄に知事の上席に就き衆人廣座の中に於て暗に其威望を損せしむるが如きも決して事の妙と稱す可らず如何となれば交際上の榮辱は間接に職務上にも影響して其結果の面白からざるものあればなり左れば我輩は此一點より見ても知事の官等をを一定して勅任と爲し〓〓〓〓〓に適したるの改正なりと認むる者なり

   其二

改正地方官制に府縣參事官二人を置きたるは誠に至當の處置にして我輩の賛成を表する所なり然れども其年俸に差等を設け且つ特別任用令を定めたるは如何なる趣意に出でたりや解す可らず或は云ふ二人の中一人は舊經驗に富みたるものを任じ一人は新學識に長じたるものを用ふるの本旨にして特別任用令を定めたるも専ら舊經驗者を登用するの便に供したるものなりと、是れ又自ら一説にして注文の通り新舊相調和し長短相補翼し以て參事の任を盡すに於ては甚だ妙なれども實際には果して此の如くなるを得べきや否や經驗者は老功自ら喜びて容易に人の言を容れず新進者は活溌自ら用ひて漫に人の下に屈することを欲せず左なきだに老壮相容れざる世の習ひなるに若しも老功の經驗者を擧て其上位に置くこともあらんか活溌なる新進者は常に不平に堪へずして其間の調和補翼は到底望む可らざるのみならず却て事の澁滞不圓滑を見るにも至る可し我輩の取らざる所なり故に參事官をして眞實その責を盡さしめんとするには二人ともに新進の壮年者を取り其官等の如きも差異なくして互に切磋の效を致さしむることを期す可し若し夫れ老功經驗の事に於ては知事あり書記官あり之を新進の參事官に望む可きにあらざるなり

   其三

今回の地方官制にては知事書記官以下の年俸を一定したり所謂職務に依り俸を給するの制にして其精神に於ては間然する所なしと雖も顧みれば他の官吏は總て官等に依り給を受くるの例にして幾年目毎に昇等の恩典あるに獨り地方官のみ其例外なるは少しく釣合を失するものゝ如し今回の如き機會に際し大に淘汰を行ふて地方の面目を一新するは我輩の希望する所なれども其事既に終り粗ほ其人を得たる上にて格別の理由もなきに更迭の頻々なるは決して好ましき事柄にあらず左れば地方官は成る可く其任期の永からん事こを願はしけれども其永年月の間に一回も増給の恩典に預ること能はざるは他の官吏社會一般の例として氣の毒の情なきを得ず因りて今後地方官に限り一種の特例を開き例へば知事の更迭あるときは書記官より其後任者を出し書記官に欠員を生ずれば參事官及び其他の地方高等官中に候補者を求むることゝなり地方官中に於て更迭の道を開くときは前述の如き不釣合を償ふのみならず從來種々の情實より起る更迭沙汰を豫防し地方政務改良の一端ともなる可しと我輩の窃に信ずる所なり