「伊藤貴族院議長」
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時事新報に掲載された「伊藤貴族院議長」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
伊藤伯が貴族院議長に任ぜらる可しとの世人の噂、果して違はず去る二十四日を以て愈々
其任命を見たり我輩は院の爲めに議長其人を得たるを祝する者なれども飜て伯の一身上よ
り考ふれば却て之を惜しむの情なき能はず抑も貴族院は有位有爵の清流を始めとし勲勞學
識もしくは老功錬達の人々を網羅したる處にて聲望の高きと共に其要務も一にして足らざ
る可しと雖も國に政熱不時に上昇し議會の論鋒火焔を巻て大に向ふ所あらんとする其間に
處し固有の聲望と老練の働とにて其熱を冷し中和調停の勞を取るが如きは要務中の至要と
云はざるを得ず左れば貴族院は議會の一要部なるにも拘らず其地位は政府と衆議院との間
に獨立するの要を見るものにして院の議長たる可き人物は最も其撰を重んぜざる可らず伊
藤伯は當世の才子にして事を處するに圓滑洒落、偏頗の弊少なきは世人の知る所にして且
つは臨時權宜の才にも乏しからざるよりなれば議長として中和調停の任に當るなどは最も
長所なる可き歟此熱より見れば今回の任命は誠に適當なるが如くなれども然れども從來の
經歴と事情とに徴すれば少しく安んせざる所なきに非ず元來伯は今の政府の縁類にして或
は政府と終始するの義務あるものと云ふも可なり一旦の機にて其地位を去りたれども政府
の中には今日と雖も親友もあり幕下もありて舊來の政縁は絶んと欲して絶つ可らず斯る因
縁ある政府を相手にして一方に議會獨立の地位を守らしめんとするは事情頗る困難にして
其兩間に事を周旋するの情を外より一見して俗言これを評すれば厭れもせぬ中を割かれた
る〓〔女+息〕が世間に對して尚ほ其去られたる家を辨護すると同樣の觀なき能はずして
折角の親切も却て無効に歸せざる可きやと我輩の窃に苦勞する所なり
右は單に伯の身の上より事情の困難なる可きを察し聊か一言したる迄の事にして若し夫れ
人物の點より云へば其性質と云ひ華族中の人望と云ひ又は立法上の學識と云ひ貴族院の議
長として其右に出づるもの少なきは勿論又伯の心事に至りても任に當りて辭せざるを見れ
ば自から其决心の程を窺ひ知るに足る可し我輩は唯今後如何なる難局に遭ふも其决心の渝
らずして進退の一ならんことを世人と共に希望するものなり