「勤儉政略」
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時事新報に掲載された「勤儉政略」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
勤儉政略
帝國議院の召集令も既に發布せられたれば來月中には目出たく國會の開設を見るの都合にして民間は勿論多年政府にて苦慮周旋したる所も先づ以て一段落を完了したる次第なれば今後の政略上自から面目を新むるものあるべきは我輩の竊に期する所なり世間にては動もすれば政府の國會に對する政策如何を問ひ政府部内に於ても亦彼是と評議する所あるが如くなれども其言多くは國會の權限等に關するものにして畢竟法律上の問題に過ぎず勿論我輩に於ても常に其得失を考へ是れまで折に觸れ鄙見を開陳したることも屡々にして今後とも着意怠らざる者なれども此等法律の問題を別にして先づ斯國を經綸せんが爲めには政務の大體を如何にすべきや其方針を何れの邊に向けて然るべきやと凡そ政府の着眼〓力すべき要點を定むるに非すんば萬般の施設常に齟齬して今度の一段落も未だ以て一段落と看做すに足らざるの憾ある可し熟々既往を顧るに日本國内は官と民とに別なく社會一般文明の潮流を迎へんが爲めに國の實力を投散したること果して幾千なるや之を統計に精査するまでもなく普く世人の黙諾する所にして維新兵馬の餘弊を承けたる國民にてありながら能く其任に堪へて二十餘年を無事に消過したるとは驚くべき慶事と云はざるを得ず文明を買ふの代價を拂へば其文明の効能も亦空しからざりしことなれば今更敢て惜むに足らざれども文明には虚あり實あり實を得んとすれば虚も亦來る今後國民の心得べきは虚を去り實を取るにあるや無論なれども國交際の事なり海海軍の事なり諸設の制度なり水陸の運輸なり其他實利害に關する凡百の所望を計畫し之が改良進歩を促して文明の面目を全ふせんとするに於ては多々ますます資財を要する計りにして一々これを逐求せんとすれば殆んど際限ある可らず社會無限の關係を外にして簡單に除弊興利の理を講ずるときは奇計妙策湧くが如しと雖も唯その方策をして能く成効せしむるものは一の資財に外なきが故に其程度を量らずして濫に収得に急ならんとすれば首尾互に矛盾して其結果遂に云ふ可らざるに至ること〓〓〓〓〓〓の要は文明富強を目的として其手段は啻に民力に伴ふて平行を亂さゞるに在るのみ即ち文明富強の第一着は民力の振興にして民力振興の第一着は今日の我國に於て勤儉の外また他なきが如し
文明進歩の社會に處しては朝野ともに儉を守ること甚だ難しと雖も國情に許さゞる所は力めて流行の潮勢を防抑するの工風肝要なれば勤勉の一事は政略の要義として力を極めて其方向を示すこと今後當局者の最大任務なる可し昨年十二月内務大臣山縣伯が各地方長官へ發したる訓令の文中に云へることあり「地方の經濟は其要勤儉にあり奢美相競ふは殖産僅に進むの國に在りて最も富源の毒を流すものなり親民の官は宜しく清廉を守り貨利豪華の習を痛斥せざる可らず地方の風氣一たび敗るゝときは人心離散して復た収拾す可らざるに至らむ」云々と是れ豈特り地方を責むるの言ならんや今や山縣伯は内閣總理大臣の地位にありその政略必ず大に見るべきものあらんは我輩の竊に待つ所なれども今日に至るまでは政府に於ても國會の準備等に取紛れたることあるべく自今以後こそ人心も漸く一段落に際會したるの思をなし第二の成行を眺めんとして正に政略一新の機會なれば瑣末の事は兎も角も其大體を確定して將來内閣に多少の更迭あればとて夫れが爲めに動搖を受けざるの根本を養ふときは立國施治の基本始めて其緒に就くべきなり