「豊年喜ぶべき乎」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「豊年喜ぶべき乎」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

豊年喜ぶべき乎

今年の稻は稀なる豊作にして土地により二年作なりと云うもあり少なくも一割二割の增穫あるべき由にて全國一般到る處殆んど凶聲を聞かざる上に米の價は未だ左程に下落せず概して一石七圓内外の市〓なれば農家の天地は恰も花の春の如く之を祭禮の賑いに徴しても其威勢は夥しきものにて公債證書又は銀行株券を死守する士族輩の如きは背後に〓若として一言なく却て百姓に素見され公債、株券の利息は今年何程にて候やなどと問われて當惑する者所在比々みな然りという農國と聞えたる我國に於いて斯る現象を耳目にするは誠に目出たき限りなれども元來農業の性質は投機一〓の冒険事業と異にして假令え豊作の幸〓に〓うことを得るにもせよ其今年に餘る所は之を明年の足らざるに備え豊年にも濫り奢美を競わず凶歳にも敢て狼狽訴窮せざる用意をなし長久永〓を目的として漸次農事を改良して生活の幸福を增〓する外なきものなり若しも其事業の實着至極なるを思わずして恰も豊年を僥倖し有るに任せて歌舞し無きに從て〓〓する有樣にては農家の〓命も誠に墓なきものにして〓に其私に於て〓難を招くのみならず全國公衆に對して夥しき害毒を流すものと云わざるを得ず然るに人心の薄〓にして放〓に流れ易きは是非もなき所なる歟〓往農家の歴史に於て〓々右の覆轍を經驗したるにも拘わらず偶々豊作の好〓に〓えば忽ち前日の苦〓を忘却して無謀の振舞をなし鬱散の快樂は界を超えて豪奢となり得々日を消し財を散して前後を顧みたるものなきに非ず左れば今年の如き豊年の年柄には斷然從來の心懸を一新して〓當の方法により來年の準備を勵むときは萬一不幸にして〓の凶〓に〓うことありとても依然たる今年の面目を保存して之を公にしては前〓の改良〓歩を期すべく之を私にしては農家自身の面目を張るに足る可し此程の事なり其地方の農家某は〓てより有名の儉約家にして衣食住一切殆んど〓準以下に没し諸々の割賦金等も〓て醸出したる例なければ〓黨皆これを吝嗇賤奴と呼び竊に爪彈きして斥け居たりしに彼の米價騰貴の影響は人民一般の難儀となりて殆んど看るに〓びざる有樣となりしより儉約家は爰に大に〓〓を開き金を散じ米を與えて一大救助の實を施し他人の及ばざる儉約は變じて他人の及ばざる慈善となりしを見て〓人も只管これを感〓し由て以て自家の不名譽を回復したるのみならず〓黨の風儀を導いて漸く勤儉に向わしめたりと云う此等の美談は必ずしも移して農家一般を規すべきに非ざれども唯金〓の〓にして放心の動くに任せ一時邯鄲の夢を貪りて毫も〓來の用意を顧みざるが如きは〓して公私經濟の利益にあらず唯我輩の論旨尚お未だ至らずして農家一般の心に貫徹せざらんことを憾むのみ且この際に用意せしむる方法如何に付ては各地の〓〓自から種々にして一概に之を評定す可からず地方當局者の着意盡力を望むは萬々なれども主として村〓に先〓たる人々の周旋こそ最も有力なる可ければ自治の制度を實施せんとする折柄と云い旁々以て充分に講究する所あらんこと我輩の千〓萬〓して已まざる所なり我輩は前號の紙上に於て政體上の一段落と共に政略をも亦一新して大に勤儉の實を擧げんことを獨り能くする所にあらず在朝在野共共に相提〓して幾年の後始めて漸く効果を見るべきものなれば民間に處する人々も今年の機會に其心事を一新して公私經濟の漸〓を勉め徐々文明富強の域に〓せんこと紳に書して忘れざらんを望む者なり