「佛教銀行に就き一言」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「佛教銀行に就き一言」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛教銀行に就き一言

〓頃世上に佛教銀行を設立せんとする計畫ありと云う其大要を聞くに佛教各宗派の寺院住職其他篤志者を株主とし其祠堂金及び積立金等を預り銀行普〓の貸附割引等を營み其利殖の力に依りて大に佛教を伸張し慈惠公共の策を立るに在りと云う我輩は其發〓者の如何なるを知らず又斯る計畫の實地充分に行わる可きやを知らざれども兎に角にこの風聞を耳にして佛教家の爲めに窃に痛惜して止まらざるは他なし物先ず腐りて蟲生ず、銀行論の佛教に附帶して生じたるは其〓會全體の腐敗を徴す可ければなり凡そ宗教の盛衰は金に在らずして德に在り教德圓滿衆生を勸化し法雨全國に浸潤すれば天下無數の善男善女は共に隨喜の涙を流して寺院に錢財を投ずるを吝まず或は殿堂を建立する爲め或は教義を擴張する爲め隨時用度を要することあれば浮世を離脱したる〓衣の〓侶が自から其金を儲け得ずとも信徒の信仰に訴えて隨時之を集むることを得べし今の世間の〓侶輩は何んぞ其教〓たる何大師何上人の用心事業を顧ざるや日本國中寺院と云えば何勝霊塲に位して其伽藍殿堂は各地隨一の〓觀と爲り無數の禮拜者をして其霊塲に入りたるばかりにて忽ち法心歸正せしむる程の大經營を爲したるは果して何の術に由りしか其形を〓にして其の心を商にし金を貸して利息を取り經〓は高閣の上に束ねて日々簿〓帳面に對し圓錢の勘定に忙わしくして始めて彼の殿堂建立費を集め得たるものなるや試に古來名〓の傳〓を見よ或は自から入唐して教〓學術伎藝等を究め以て斯〓を傳へしものあり或は〓度の主義に據り娑婆の衆生を彼岸に〓せしむるが爲めとて〓地を夷げ〓〓を架し以て人生の便を〓せしものあり宗教以外に世を利し民を導き布教の勢を助けたること多しと雖ども身を以て利殖の局に當りたるものあるを聞かず己れを持すること嚴にして夙夜懈るに匪ず租衣薄食も之を厭わず艱難苦行も之を辭せず以て斯民を教化したるは即ち佛者の功德なれば人民は〓に之を〓として〓ぶのみならず之を師とし事える風を爲し〓信の餘り又これが爲めに錢財を捐つるを憚らず雲水飄々の身にてありながら爰に一山を開基せんとすれば無數の信徒、子の如く來りて千古巍然たる大伽藍を建立することを得たりしことなり或は今の宗教弘布法は徃時の如くならず其規模を大にする程その費用も亦多く現に西洋諸國にては新舊耶蘇教を弘布する爲め自國に廣大なる寺院を立て之れに關係する公共の事業も亦殆んど無數なりと雖ども尚お自から足れりとせず各自教會の用度を以て彼の宣教師を〓國に派〓し到る處に學校を立て又病院を創設し〓募孤獨を救〓する等恩惠を敷き善根を施すは人の能く知る所にして今日英米佛露等より我日本國に來徃する宣教師の數の少なからざると其弘教事業の手廣きとを見ても其一斑を知る可し事業大なるに隨て費用も自から大なれども其費用たる何れも信徒檀越の義損金にして〓侶が銀行の株主と爲り或は其事務に預り一種の圓預商人として寺院の有金を繰り廻わし取引萬端迂〓なくして果して其金を〓殖して寺院を修め外觀を張ることを得たりとするも佛教の功德は果して何れに存するや宗教の貴きは寺院の立派なるが爲めに非ず全國多數の信者等に寺院を立派にする程の信仰ある貴きなり、汝の殿堂の〓〓したるは汝の德行の修まらざるが故なり、汝の布教の〓ねからざるは汝の熱心の厚からざるが故なり、汝の山門の腐敗したるは〓酒の臭氣に染むが故なり、今その本を勉むることを爲さざ佛者にして利殖に從事するも斯る方便を以て集めたる金にて果して何人を教化せんと欲するや殊に銀行にて利を得るには成る可く高利に金を貸し嚴酷に〓濟を促して假令へ人の怨を買うも毫も假借する所ある可からず諺に借る時の地藏顔に〓す時の閻魔顔を以てする趣を呈するは今日尋常銀行者の實際に照らして明白なり柔和〓辱を旨とする佛教家が何として斯る地位に立つことを得べきや或は佛教の前〓に望なしとて自暴自棄の窮策に出たることなれば又言う可きものなしと雖も日本の佛教必ずしも絶望の境界にあらざるは吾々教外の者にても尚お能く知る所なり然るを僅に銀行利殖の力に因りて其教義を擴張し慈惠公共の目的を〓せんとするが如き言語〓斷沙汰の限りと云わざるを得ず今の佛教家中にも必ず我輩と所見を問うする者多かるべしと思えども彼の佛教銀行の風聞徃々耳邊に〓するを以て念の爲め爰に一言を陳じ置くものなり